月別アーカイブ: 2016年9月

大人の外国語学習で大切な2つのこと

外国語は小さい頃から、と思う多くの親御さんがお子さんを英会話教室に通わせます。ところが人生に想定外はつきもの。
「急に中国と取引することになった…。」
「インドネシアに単身赴任することになった…。」
ビジネスと医療の用事は英語が国際標準語とはいえ、心ほぐれるのは地元のことば。だって人は言葉に全身で関わるもの。ふるさとの言葉は骨身に深くしみこんでいます。遠くからやってきた友人が自分のふるさとの言葉を少しでも話してくれると、なんともいえず嬉しいもの。
大人が外国語を身につけるのに大切な2つのポイントをフランスの耳鼻咽喉外科医、アルフレッド・トマティス博士が指摘しています。1つはおなじみの「まずその言語の耳をつくれ」。もう1つが意外にも「文系」的で、言われてみればごもっともで興味深かったのでご紹介します。出典は博士の初めのころの著書「L’oreille et le Langage」(耳と言語)です。
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アルフレッド・トマティス博士。その目には何が映っていたのか…

ちなみにトマティス博士が開発した聴覚発声メソッドは、ノーマン・ドイジ博士の近著The Brain’s Way of Healing「脳はいかに治癒をもたらすか」でも丁寧に紹介されています。
(トマティス博士の著書はほとんど英語、日本語に訳されていません。もともとの情報を知るには日本の関係者を訪ねるか、フランス語で検索するのがコツです。)

まず耳をつくれ

“En tout cas, il n’est pas à douter qu’une langue étrangère voit son intégration se faire par l’oreille. Cette acquisition aidée par le texte et l’image n’en est pas moins essentielle et primordiale. C’est en l’entendant que l’on apprend une langue; et en l’entendant correctement?
Que veut dire entendre ou l’entendant correctement?”
「どんな場合でも、外国語をものにするには耳が決めてであることは疑う余地がない。たとえテキストや画像という補助があるとしても、聴覚での学びが原点だ。言語は聴くこと、それも正しく聴くことを通して身につくのだ。はたして、正しく聴くとはどういうことだろう?」
私たちは胎内にいるときから背骨に響く母親の声を聴き、母語のテンポやビートといった音楽的土台になじみます。生まれてからはその言語がそれぞれの環境にあわせて選び取った音の分布(地域言語ごとの優先周波数帯)に耳をなじませます。これを母語への言語コーディングと言います。
“Cette limitation, qui est presque la règle, ne nous a rendus, maîtres à manier, avec toute la finesse; toute l’agilité désirée, qu’une gamme sonore et rythmique propre à une language.”
「この実際には規則ともいえる限界(訳注=コーディング)があればこそ、音とリズムのモードのパターンを1つだけ然るべき巧みさと速さでマスターすることも可能だ。そのモードは言語ごとに独特だ。」
“Mais quel monde acoustique différent que celui d’une autre langue! C’est un conditionnement tout autre qu’il faut subir. Sans lui; l’intelligibilité nous rend inertes devant toute tentative d’émission articulée que l’on sait ne pas pouvoir contrôler correctement.”
「別の言語の音響世界はどれほど異なっていることか!
新たにまるごとコンディショニングを確立しなくては。
それ抜きになにを外に表現しようと試みてもうまくゆかず、コントロールできていないと思い知ることになる。」
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はじめて外国語を耳にしたときに単語の切れ目がわからないのは、おのずと母語の言語コーディングを通して聴くしか方法がないからです。外国語をコーディングするには何より自然な発話を聴くことです。教材用にわざとらしい録音になっているもの、聴きやすいようにゆっくり読み上げてあるものは避けましょう。自然が一番です。検定外教科書Progress in Englishシリーズを応援してくださった脳神経外科の植村研一先生も3か月以内に100時間聴くことをすすめておられます。そうすれば外国語の回路ができ、日本語と混線しなくなるからです。

そして、ひとりになれ

トマティス博士2つめのアドバイスは「大人は一人になれ」。

英語の授業で先生がお手本のCDを再生する場面をよく目にします。ところがクラス単位のペースでは自分が何をやっているのかどうでもよくなるもの。リスニングもシャドウイングも精度がいまひとつ。しかも人前で口を開くと人目が気になるもの。

耳ができて、今度は口の練習となったらあくまで一人が基本です。ひとりになって、自分と向き合わねばどうにもならないのです。

“Cette technique offre des avantage certains. Le caractère individual du procédé y contribue largement.
Chacun, en effet, dispose de sa machine suivant son bon vouloir, dans une progression répétée; perfectionnée; sans intervention extérieure, sans les oreilles juges du maître. Cette libération est un facteur éminemment favorable à l’éclosion du départ.”
「この手法(訳注=自分ひとりのペースで学ぶ)には確かな利点があり、プロセスの個別化は学びの成功に大いに寄与する。学び手は自分専用の機材を自分の進歩に合わせて使えるので、好き放題繰り返すこともできる。外からの介入や先生の裁きの耳にさらされることもない。進歩するためには始めから自由が極めて大切な要素なのだ。」
“Notre inhibition devant toute langue étrangère s’augmente d’autant plus que la crainte du ridicule…”
「外国語を学ぶ際に『馬鹿にされたくない』とわけもなく恐れると、ますます自分を抑圧するばかりだ。」
“Elle se trouve accrue par le fait que les inhibitions chez lui sont plus grandes; sa position sociale le bloque; sa peur du ridicule le soustrait à ce jeu de construction linguistique. L’habitude qu’il a d’évoquer à tout moment son intelligence pour comprendre ne lui rend aucun service; au contraire, elle intervient sur ce circuit, sur ce rail à créer et, plutôt que de l’aider, elle en entrave l’éclosion.”
「ますます(学びが)脆くなるのは、大人になるほど抑圧が強くなるからだ。社会的地位を気にしたり嘲笑を恐れたりするばかりに言語構築ゲームを楽しむことから自分を引き離している。年がら年じゅう知性を引っ張り出して理解しようという癖もなんの役にも立たない。その逆で、知性はそこに敷設されるべき回路、走路の役に立つどころか邪魔だ。」
ひとりになって、知性のスイッチを切って、ひたすら自分の音に向き合う…人目から隠れて幼子に還るようです。
ぜひお手本の音源とリピートや録音ができる機器を使うのをお勧めします。スマホの録音、録画機能でもいいですね。
ひとりになる?そんな時間ない?だからスクールに通っている?
そりゃいいカモだわね。
トマティス博士の言葉を裏返しにしてちょっと厳しいことを言わせていただきます。「まずよく聴いて耳を作り、次にひとりになって自分の音に向き合う覚悟がなければ外国語習得は難しい。」
イチローだって素振りするのです。
外国語はプロ野球よりよほど敷居が低い。理に適った方向で努力すれば必ず道が開けます。
私は今、どうしても必要なのでフランス語・ドイツ語を独学しています。臨界期?学ばない言い訳に興味はありませんね。私には関係ないと思っていますし、そんなこと言っている場合ではないのでね。
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アントロポゾフィーの通訳は特殊?

アントロ関係の通訳現場でよく言われること。
(アントロ=anthroposophy=anthropos人間+sophy叡智、シュタイナーの示唆した思想の略)
「アントロは特別だから、分っている人じゃないと通訳できない。関係者じゃないと通訳できない。」
そうかな?
確かにシュタイナー関係では日本の公教育では出てこない項目がてんこもり。でも、そのコンテンツはアメリカではなく西洋のリベラルアーツそのもの。キリスト教学校ならおなじみのことばかりで、アントロ独自ではありません。
「専門用語」だなんて、日進月歩の工業、医療に比べたらかわいいもの。
そして、「わかってないと訳せない」というあなたはわかっているの?人に対して「あなたはわかっていない」「あの人はわかっている」という資格はあるの?
私にはありませんし、要りません。
それより、シュタイナーの言葉に出会って、ああ、これを探していたんだ!と心躍らせたときを思い出してください。これは医療、農業、教育の希望だ、と思ったときのことを思い出してください。
その思いを、プロの通訳とわかちあったことはありますか?
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プロ通訳がまず知りたいのは依頼主が自身の専門分野とどう出会い、
どれほど大事に思っているか。
それさえ共鳴できたら、このネット時代、情報収集、見学、体験、なんでもやります。依頼主がうんざりするくらい資料を求めて当日はすっかり身内の顔をしている。
だって、この世界が人々の思いと工夫に満ちていると知るのは
とてもとても楽しく、有り難いことだから。
プロ通訳は珍奇な惚れっぽい人種です。どうぞ堂々と誘ってください。
彼らを落とさないなんて孤立を選んだのと同じことですよ。
どうにも落ちないときは「冠木さんが呼んでるよ」とお伝え下さい。
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横浜CAT通訳道場

外国語、聴けるから発音できる?発音できるから聴ける?

外国語学習、特に英語学習では「これが決め手!」という説が様々登場します。なかには「聴けない音は発音できない」「発音できるから聴けるようになる」のように真っ向勝負しているかのような説も。

もしどちらかが正しいとなると…もう一つは間違い。こりゃ大変な賭けですねえ。

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ワシントン大学のパトリシア・クール教授を中心とした研究グループはNeuroimaging of the bilingual brain:Structural brain correlates of listening and speaking in a second language「バイリンガル脳の神経画像:脳の構造と第二言語でのリスニング、スピーキングの相関」と題した論文のはじめに興味深いことを指摘しています。

 

というのも…これまで言語習得といえばウェルニッケ野、ブローカ野の独壇場。これらはドイツのウェルニッケ、フランスのブローカが「失ってそのありがたみを知る」ごとく、失語症の患者さんを通してもともとの機能を推測した領域。前者は感覚性言語=聴くことを、後者は運動性言語=話すことを司ると考えられてきました。しかしその発見も150年近く前のこと。今日、健康なバイリンガルをこのモデルで説明しようとしたら、ウェルニッケ、ブローカ両先生ががっかりなさることでしょう。クール教授もこう指摘しています。

“…A well established characterization of regional specialization for receptive and expressive language in monolinguals exists, where the left hemisphere has long been recognized as generally dominant in language, and specific brain regions (e.g. Broca’s and Wernicke’s areas) have historically been identified as specialized for specific aspects of speech production and comprehension (Kuhl & Damasio, 2013). Moreover, contemporary models of monolingual language processing feature “dual streams” of information processing, with different streams for receptive and expressive language.(Hickok&Poeppel, 2004, 2007)”

「モノリンガル(話せる言語は1つ)の言語受容・表出にまつわる領域特化についてはすでにしっかり特徴づけられている。左脳が長いこと全体として言語について優位な脳と認識されてきた。またブローカ野やウェルニッケ野などの特定の領域が歴史を通じて発話と言語理解という特定の側面に特化しているものとされてきた。(Kuhl & Damasio, 2013)さらに、今日のモノリンガルの言語処理モデルは、「デュアル・ストリーム(二元、二層の流れ)」な情報処理を特徴とし、言語受容、表出それぞれに異なる流れをもつ。」

これまでは領域と機能を固定的に結びつけていましたが、流れと結びつけています。

 

さらに面白いのが、ちょっとあべこべに聞こえるこの話。英語教育ではよく四技能、といってスピーキング力を高めるにはスピーキングを、リスニング力を高めるにはリスニングを練習する場面をよく見かけます。まるで犬にオスワリ、オテを教えるみたい、と以前から違和感を感じていましたが、やっぱり!

“For example, a number of studies indicate that listening to speech results in the generation of internal motor models of speech production. In adults, investigators have reported fMRI activation of areas involved with speech production while listening to non-native phonetic contrasts(Callan, Jones, Callan6 Akahane-Yamada, 2004; Callan et al., 2003), as well as during audiovisual native language speech perception (Skipper, van Wasse hove, Nusbaum & Small, 2007)”

「例えば、数多くの研究が示しているように、発話を聴きとると発話のための内的な運動モデルが生成される。大人の場合、fMRIでは母語でない音声のコントラストを聴いていたときでも(Callan, Jones, Callan6 Akahane-Yamada, 2004; Callan et al., 2003)、母語の発話を知覚していたときでも、発話に関連する領域が活性化する、という研究報告がある。 (Skipper, van Wasse hove, Nusbaum & Small, 2007)」

つまり、聴くことは発話の準備になり、発話は聴くことの準備にもなる。どちらかひとつではなくどちらも有効、ということです。

相手の話を聴くことが自分が話す準備になり、自分が話すことは相手に耳をすませる準備になる。

やがて相手と自分が輪郭を保ったままひとつのカノンを奏でていく…そんなイメージが浮かびました。

言語は人と人の間を行き交い、心に像を結ぶもの。人体も脳もそのように見事に造られているのですね。

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言語学習で聴く、リスニング、というと教材の音声を聴くことを想像します。TOEICのリスニングの点を上げたくてリスニングばかり練習する。自分の意見を堂々と言いたくて、スピーキングばかり練習する。そればかりでは自分中心なのになんだか寂しい。豊かでない。自立ではなく孤立しているような。「でもそうはいっても現実は…」とおっしゃる方はなぜ自分がそうまでして学ばねばならないのか、前提から疑った方がいいかもしれません。

 

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学生さん、その翻訳バイト大丈夫?

スカイプの向こうにいるKさんは大学生。夏休みは初めて翻訳のバイトを頼まれたって喜んでいたのに浮かない顔。
知りあいから直接頼まれたのは小学校の先生の研修で使う神経生理心理学の論文。テーマは感覚と運動の発達。勉強になると思ったけれど、量は多い、翻訳料は雀の涙、納期も短い。
とにかくやらなくちゃと初めから訳しはじめたものの…辞書を引いてばかりでちっとも進まない…そうだ先生も夏休みのはず(おいおい)、とSOSを送ってきたのでした。
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「その資料、先生たち何の目的でどう使うの?」
「さあ…」
「え…!」
これを確認せずに訳し始めるのは危険!間にコーディネーターが入っていないときはなおさら。
どんな情報がほしくてそれを訳すのか、参加者で輪読するのか、だれかが要約を発表するのか、あるいは自分の発表の資料にするのか、紙で配るのか、パワポだけか…
昔のようにきちんとした情報だけが文書化され、文書は文書に翻訳されていた時代と違うのです。情報源は多すぎるし、発信方法も多様。
当人たちが本来の意図とずれた依頼をしていることに気づかない、なんてよくあること。
こんなに翻訳代が安いなら全訳してもらおうと軽い気持ちで言っているのかもしれない。
相手の願いを一歩ふみこんで聞き出して、頼んでいる内容とずれてたら違う形を提案するくらいでちょうどいい。ずれていなければそれはそれでいい。コンシェルジュみたいでしょ。フリーでやるなら必須です。
dictionary-1799_640「辞書ひいてるの?」
「はい。カシオの。」
「そうじゃなくて中身。医学事典は?」
「ありません。G3です。」
おいおいアゲイン。
本物の道具を味方にするのも大事なこと。私は自動通訳、機械翻訳だってちっとも怖くない。今あるのが大したことないという意味ではありません。もっと進歩してもらいたい。で、一番いいのを買ったら調教して、土台の仕事はそのコにさせて、私は仕上げだけをやっていたい。
いい道具を選ぶには、自分なりの言語観を持つこと。理想の翻訳仕事手順のイメージをすること。実現していない理想イメージの隙間にぴたっとはまるものが目に入ったら手に取る。値段?学生時代とは金銭感覚変わるから大丈夫。
「ちょっと自分では難しそう…」
そりゃそうです。それが学生とプロの違いです。だから!!引き受ける前に相談して。とにかく
①相手の願いと依頼のずれをコンシェルジュとして調整。
②自分の強みにふさわしい道具を味方につける。
私は学生時代そんなこと考えてもいなかった。Kさんは15年私の先を行っている。今からやれば大丈夫。
こちらは通訳道場なので翻訳とはちょっと違いますが、炭酸強め、スリル満点です!
発声、事前準備などもお目にかけます。

学習優位感覚、MI。思わぬ使い方に提唱者が困惑

生徒はお行儀よく座って先生のお話を聞き、板書を写す…そんな授業は情報時代に稀少価値があった昔のやり方。現代にふさわしい方法はないか…向上心豊かな教育関係者の心をとらえたのが学習スタイル(学習優位感覚)と多重知能理論(MI)。どちらもアタマだけでは学べないことを強調し、学び手ひとりひとりの多様性、可能性に光をあてる視点です。ところが勘違いした実践も多く、当の提唱者自身が当惑しているというのです。

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アタマだけでは学べない

そもそも学びとは新しい情報を外から取り入れ、体験とすり合わせ、取捨選択し、自分になじませていくこと。学びの種である新しい情報はいきなり頭には入れません。頭という奥座敷に入るにはまず感覚器官という玄関から入らねばなりません。学びは身体に始まるのです

学習優位感覚(学習スタイル)とは

学習スタイル説にはさまざまなモデルがあり、提唱者もさまざまです。今日よく話題に上るのがVAKモデル。人間の学びには感覚の中でもVision視覚・Audtition聴覚・Kinaesthesia体感覚(触覚・運動感覚)が大きな役割を果たし、場面によって優先的に使う感覚があるという説です。例えば私は通訳するときは聴覚を主に使いますが、車を運転するときは視覚、体感覚を優先的に使う、というふうにです。

この視点には私も教員時代に大いに助けられました。先生たちは聴覚をよく使う人が多いそうですが、私もそうだったのです。ベストを尽くたつもりでも自分と似た生徒たちに有利な授業をしてしまう。視覚や体感覚を使いたい生徒たちが置いてきぼりになってしまう。この子たちが飽きて「自分は集中力がないんだ。頭が悪いんだ」と思い込むとしたら、原因は誰?そこで視覚、聴覚、体感覚をバラエティ豊かに使うアクティビティを揃えたのです。

おかげでもともと大嫌いだった所謂「教案」とは永遠におさらばできました。ふさわしいアクティビティをぱっと選ぶには、その時、その場で生徒のしぐさ、表情をひたすら観察、瞬時に判断しなくてはなりません。これは気が抜けませんでした。でも楽しかった!

多重知能理論(Multiple Intelligences)とは

ハワード・ガードナー教授(ハーバード大学大学院)が提唱する新しい知能モデルです。ある日、知的障がいがあって話すことも歩くことも難しい少年が、教授の研究室から車いすをスイスイ動かして出て行きました。その後姿がきっかけのひとつとなり、ガードナー教授はIQのように単一の尺度で人間の知能を測る方法を疑うようになりました。2004年発行の”Frames of Mind”新刊の章立てには6つの知能が見えます(本文では7つ扱っている)。
Linguistic Intelligence(言語の知能)
Musical Intelligence(音楽の知能)
Logica-Mathematical intelligence(論理と数学の知能),
Spatial Intelligence(空間の知能)
Bodily Kinesthetic Intelligence(身体と運動の知能)
The Personal Intellingences(人間的知能)
よく見かけるのはこれらをさらに8つに分けたフレームワークです。
今日では9つ、12、とさらに細かくわけた説もあります!
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提唱者が困っている?!

学習優位感覚もMIも先生が自分を客観視し、生徒を観察する目を磨くのに役立ちます。しかし以前から学習優位感覚は科学的な根拠が脆いと指摘されていました。科学的に証明されていなくてもうまくいく方法はあるものです。そういう方法に手を出すときは節度、うしろめたさを忘れてはなりません。
案の定、最近おかしなことになっているようです。学習優位感覚とMIを混同する人、血液型のように固定的にとらえる人、他人を安易にタイプ分けし、コミュニケーションを操作しようとする人が後を絶たないのです。

そもそも感覚は身体に属するもの。教師が観察するならともかく、生徒が自分で意識しすぎても不自然です。

Urban Myths about Learning and Education「仮題 学習と教育をめぐる都市伝説」 (by De Bruyckere, Kirshnerm, Hulshof/ Elsvier, 2015)では逆効果に警鐘を鳴らしています。

“Frequently, as Clark later explained, so-called mathemathantic effects are found; that is, teaching kills learning when instructional methods match a preferred but unproductive learning style.”
「よくあることだが、クラークが後述する通りいわゆるマテマタンティック(学習の死)効果がみとめられた。教えたばかりに学びが死んでしまったのだ。教え方を、お気に入りだが非生産的な学習スタイルにぴったり合わせたがために。」
「MIと学習スタイルは同じですか?」という問いには20年以上も前にガードナー教授が困惑しています。
“Without doubt, some of the distinctions made in the theory of multiple intelligence resemble those made by educators who speak of different learning styles. Many of them speak of spatial or linguistic styles, for example. But MI theory begins from a different point and ends up at a differnt place from most schemes that emphasize stylistic approaches.”(p.44 Multiple Intelligences theory in Practice /Basic Books)
「間違いなくMIの区分のなかには教育関係者が提唱しているさまざまな学習スタイルに似ているものもある。たとえば彼らの多くが空間タイプ、言語タイプと言っている。しかしMI理論の出発点も到達点も、それらの矢鱈に『スタイル』でアプローチするスキームとは殆ど異なっている。」
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学びに魔法はいらない

私も「なんだか変」と思った覚えがあります。初対面の方と喫茶店で待ち合わせて間もなくのこと。「君、擬音語が多いね。話し方も噺家みたいで面白い。きっと聴覚優位だ。僕、分かるんだ。」そしてあからさまに私のしぐさをまねたり、抑揚までそっくりにおうむ返ししたりし始めたのです。私がどう応じたかはご想像にお任せします。

学習スタイルは血液型や星座のように固定的なものではありません。学びの近道や人心操作を可能にする魔法の道具でもありません。学習優位感覚も多重知能理論も、教える者が学び手の内なる多様性を尊び、学び手が自分の豊かさに気づくツールなのではないでしょうか。

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