外国語、聴けるから発音できる?発音できるから聴ける?

外国語学習、特に英語学習では「これが決め手!」という説が様々登場します。なかには「聴けない音は発音できない」「発音できるから聴けるようになる」のように真っ向勝負しているかのような説も。

もしどちらかが正しいとなると…もう一つは間違い。こりゃ大変な賭けですねえ。

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ワシントン大学のパトリシア・クール教授を中心とした研究グループはNeuroimaging of the bilingual brain:Structural brain correlates of listening and speaking in a second language「バイリンガル脳の神経画像:脳の構造と第二言語でのリスニング、スピーキングの相関」と題した論文のはじめに興味深いことを指摘しています。

 

というのも…これまで言語習得といえばウェルニッケ野、ブローカ野の独壇場。これらはドイツのウェルニッケ、フランスのブローカが「失ってそのありがたみを知る」ごとく、失語症の患者さんを通してもともとの機能を推測した領域。前者は感覚性言語=聴くことを、後者は運動性言語=話すことを司ると考えられてきました。しかしその発見も150年近く前のこと。今日、健康なバイリンガルをこのモデルで説明しようとしたら、ウェルニッケ、ブローカ両先生ががっかりなさることでしょう。クール教授もこう指摘しています。

“…A well established characterization of regional specialization for receptive and expressive language in monolinguals exists, where the left hemisphere has long been recognized as generally dominant in language, and specific brain regions (e.g. Broca’s and Wernicke’s areas) have historically been identified as specialized for specific aspects of speech production and comprehension (Kuhl & Damasio, 2013). Moreover, contemporary models of monolingual language processing feature “dual streams” of information processing, with different streams for receptive and expressive language.(Hickok&Poeppel, 2004, 2007)”

「モノリンガル(話せる言語は1つ)の言語受容・表出にまつわる領域特化についてはすでにしっかり特徴づけられている。左脳が長いこと全体として言語について優位な脳と認識されてきた。またブローカ野やウェルニッケ野などの特定の領域が歴史を通じて発話と言語理解という特定の側面に特化しているものとされてきた。(Kuhl & Damasio, 2013)さらに、今日のモノリンガルの言語処理モデルは、「デュアル・ストリーム(二元、二層の流れ)」な情報処理を特徴とし、言語受容、表出それぞれに異なる流れをもつ。」

これまでは領域と機能を固定的に結びつけていましたが、流れと結びつけています。

 

さらに面白いのが、ちょっとあべこべに聞こえるこの話。英語教育ではよく四技能、といってスピーキング力を高めるにはスピーキングを、リスニング力を高めるにはリスニングを練習する場面をよく見かけます。まるで犬にオスワリ、オテを教えるみたい、と以前から違和感を感じていましたが、やっぱり!

“For example, a number of studies indicate that listening to speech results in the generation of internal motor models of speech production. In adults, investigators have reported fMRI activation of areas involved with speech production while listening to non-native phonetic contrasts(Callan, Jones, Callan6 Akahane-Yamada, 2004; Callan et al., 2003), as well as during audiovisual native language speech perception (Skipper, van Wasse hove, Nusbaum & Small, 2007)”

「例えば、数多くの研究が示しているように、発話を聴きとると発話のための内的な運動モデルが生成される。大人の場合、fMRIでは母語でない音声のコントラストを聴いていたときでも(Callan, Jones, Callan6 Akahane-Yamada, 2004; Callan et al., 2003)、母語の発話を知覚していたときでも、発話に関連する領域が活性化する、という研究報告がある。 (Skipper, van Wasse hove, Nusbaum & Small, 2007)」

つまり、聴くことは発話の準備になり、発話は聴くことの準備にもなる。どちらかひとつではなくどちらも有効、ということです。

相手の話を聴くことが自分が話す準備になり、自分が話すことは相手に耳をすませる準備になる。

やがて相手と自分が輪郭を保ったままひとつのカノンを奏でていく…そんなイメージが浮かびました。

言語は人と人の間を行き交い、心に像を結ぶもの。人体も脳もそのように見事に造られているのですね。

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言語学習で聴く、リスニング、というと教材の音声を聴くことを想像します。TOEICのリスニングの点を上げたくてリスニングばかり練習する。自分の意見を堂々と言いたくて、スピーキングばかり練習する。そればかりでは自分中心なのになんだか寂しい。豊かでない。自立ではなく孤立しているような。「でもそうはいっても現実は…」とおっしゃる方はなぜ自分がそうまでして学ばねばならないのか、前提から疑った方がいいかもしれません。

 

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