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違いはなに?通訳プロ・アマの正確さ、聴きやすさ

「冠木さんはスピーカーの言ったキーワードはきっちり訳してる。でも単語を単語に置き換える通訳者とは別格の聴きやすさ。 何が違うんだろう??」

―たぶん、私しかやっていないのはノンバーバル情報の活かし方。

「それって冠木さんだからできるのでは?」

―いえいえ、そんなことないですよ。個人のセンスだのみじゃありません。写真、音楽…理詰めです。ステップもあります。まあ、練習しなけりゃお話にならないけどね。

ノンバーバル情報の主な要素はひとまず2つ。ひとつは文法。もうひとつは音声。

文法パーツはカメラの設定指示みたいなもの。絞り(ボケぐあい)、レンズの長さ(どのくらい周囲を入れるか)、露出(明るさ、ムード)が読み取れる。

秋明菊が写っているという共通点はあるけれど…絵が違います!

たとえば”My father is working for a bank.”と”My father works for a bank.”
前後の文脈なしでも気配の違いが感じられますか?

東北新幹線下り、仙台到着前の車内放送は”We will shortly be arriving at Sendai.”
in Sendaiだったら気持ち悪い、という感覚がありますか?

このあたり等閑だと同じものが写っていても写り方が違う写真になる。ピンぼけ手ぶれ写真が紙芝居みたいに重なると、間違っていないけれどわかりにくくなる。中高の英文和訳もしくはそれに毛が生えたような単語置き換え通訳によくある失敗。

さて、ふたつめの要素、音声は文字を超える情報を担う。同じ「おはよう」でも人によって、気分によって調子が違うでしょ?そこまで聴いて。ちゃんと聴けば声のメロディは記憶に残る。それを不自然でない程度にこだまする。そうすると声のカノンになる。話し手がモーツアルトなら通訳者もモーツアルト。これなら聴いていて楽。話し手がモーツアルトなのに通訳者がブラームスではおかしい。すべきことをせず勝手なことをしている。

この二人の音楽が8小節ずつ交互に聞こえるなんて…

さて、これら2つの要素も日本語がいまひとつでは台無し。そのことは次稿にて。

講座の質を最後に決めるのは通訳者です。海外講師を迎えたのに「英語ができる身内」に通訳を頼んでいませんか。英語ができるのと通訳できるのは別のことです。頼まれた方も気の毒、せっかくの準備ももったいない。

道場生のインターンとして無料通訳派遣も承ります。ご相談ください。

 

似て非なる、シュタイナー教育を「取り入れる」と「基づく」

―シュタイナー教育ってなんだか窮屈。シュタイナー教育だけを純粋にやるより、自分たちに合っているところだけ「取り入れる」のがいいと思うんです。

その窮屈ってどんなところ?

―テレビ見ちゃいけないとか…

あはは、そりゃテレビは出てなんぼだものね(笑)。

でもね、「取り入れる」には気をつけて。いくつか「取り入れている」教育研究所を見かけたのだけれど違和感を覚えてね。部分的にいろいろなものを入れている。剣道、座禅、モンテッソーリにシュタイナー、英会話にリトミック。

―あ、それは変なの、わかります。気持ち悪い。なんでかしら。私たちがやりたいのはそういうことじゃないんです。

でしょ?こういう「取り入れ」タイプの態度がなんだかいやなのでしょ?バイキングでずらりと並んだ食べ物を選ぶみたい。

結局、バイキングの大食いさんは自分の胃袋優先。自分の枠にあったものを選ぶ。あるいは自分の枠を壊す力があるものに出会っても関わりが浅い。

見立ては簡単。浅いタイプが「取り入れた」メソッドの専門家を超える洞察に至ることはほぼ皆無。わかったようなことを言っても洞察ではなく単純化。「なぜ」を繰り返すとたちまち崩壊。

いま窮屈に感じているものの正体はなに?理由のはっきりしない習慣?変化を恐れる仲間?近隣の幼稚園、学校との純粋さ比べ?訳文の難解さに変に麻痺していること?

ならばシュタイナーのせいにするのはとんだ八つ当たり。

いっそマニュアル、ドグマ化しがちな「教育」という具体実践はいったんわきに置いてみたら?しばらくものの見方、考え方といった「抽象」、哲学に重心を移してみたら。

私も3度途中で挫折した「自由の哲学」が今は面白くて仕方ない。1つ読むならこれだ、と何人もの方にすすめられました。シュタイナー自身もそう言っています。音読すると心躍ります。

いちどひとつに決めることです。一度に二つの山頂には登れない。7合目あたり横にうろうろするのはヤギさんかおサルさんです。

シュタイナー医学を学んだ漢方にも詳しい薬剤師さんが面白いことを言っていました。漢方ではなぜこの薬がこの症候に効くのかもちろん独自の説明がある。でも限界もある。例外的症例もある。昔だったらそこから先は行けなかった。でも今はシュタイナー医学のおかげで理由がわかるようになった。だから応用がきく。長年親しんだ漢方を捨てることなく、より自由に活かすことができる。だから有難いって。

この方は「取り入れた」のではなく「基づいている」。いったん自分の枠をはずし、それまでの蓄積を手放す覚悟で飛び込む思いをした。

その結果、逆にそれまでの専門を失うことなく、突破口が開けた。むしろ専門家がいき詰まるような「なぜ」の先に行ける。かえって自由になったって喜んでいる。

さてさて、シュタイナー教育関係の集まりでよく唱えるシュタイナーの詩、 「Beim Läuten der Glocken。鐘が響くとき」難しいという声を聞いたので試訳してみました。

実は私の本棚は英語関係の愛すべき稀覯書でいっぱい。ドイツ語スペースはその1割もありません。でも増やす気もありません。そのかわり、ドイツ語に優れた友人を頼りにしています。ありがとう!この場を借りて感謝します。

さて、本当にシュタイナーがわけわからないこと言っているのでしょうか?

「美しきを讃え、まことを護り、とうときを崇め、よきを為すと心に決める…」

綺麗な全体PDFは下記よりどうぞ。

こんな感じです。続きは以下のフォームよりご覧ください。すぐにDLできます。

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theが「ザ」や「ジ」になる理由

「theの発音が変わる理由がわかりません」

ありがとうございます!こういうの大好き。理由があることを前提にしていらっしゃる。「ある」を前提にすると調べたい、知りたいという気になるものです。

日本でも律儀に使い分けています(笑)。
「ジ・アトリウム舞浜」
「ジ・アーバネックス芦屋」
「ザ・ドリフターズ」
「ザ・ピーナッツ」

なんでしょうね…実は場所はジで芸能人はザ?…そりゃいいですね。

学校では「ザを後ろが母音のときはジに変える」と習ったけれど…でも、これだと「なぜ」を説明しにくい。なんだかしっくりこない。

考え方がさかさまだからです。

aanのときもそうでしたね。aにわざわざnをつけるのではなく、anからnが落ちたものと残ったものがあった。後ろが母音だと落ちずに残った。後ろが母音だと古い形が残りやすい、といえます。

先に結論を言いますと、今回もそうです。後ろの単語が母音始まりのほうが方が前にいるtheも昔からの発音が残ってのんびりできました。後ろに子音が控えているとさっさとおしまい!になるのです。

ここでくせものがカタカナ表記。ザ、ジと書くとア段とイ段の違いだけで同格な母音を持っていると思うでしょう?わけもなく段を行き来しているようでしょう?でも英語では、ジ[i:]が天ぷらだとしたらザについている[ə]なんて天かすみたいなもの。

せめて「ジー・アトリウム」と書いてほしいもんです。書かないか。

ときどき次の語頭が子音でものんびりジーという人がいますが、間違いというより先祖返りです。

お急ぎの方はここまで。ここからは今の話をアカデミックにおさらい。


大切なのは時間の中での言語の変化を知り、楽器としての身体をベースに観察することです。後者が独りよがりにならないためには、耳ができていること。

さて、現在のtheのご先祖様はse, seo, þæt。いっぱいいますね。昔、英語の名詞は男性・女性・中性と分かれていたので冠詞もそれぞれに(上の順どおり)あったのです。þaは複数形。

オクスフォード大のオンライン語源辞典(画像をクリックすると辞典に飛べます)

「なぜ」と思ったときの強い味方です。

この冠詞の発音、前述のとおり今のtheよりずっと母音をしっかり発音していました。無理やりカタカナにするとseセ~, seoセーオ, þæt セア~ット(thatのテンテン無し版)。発音が聴ける面白い動画をご紹介します。

英語が苦手だという方のお話を伺ってみると、英語そのものが嫌いではなくて勉強がつまらなかったということがしばしばです。学校で「理由はない。そういうものだからまず覚えろ」と言われて何かがぷつりと切れてしまった、あとは仕方なく最低限でやってきた、と口を揃えます。 (Progress in Englishシリーズは中3で英語史がちゃんと出てきますから「なぜ?なぜ?」と問いまくれる。)

先生がご存知なかったとしても「自分たちで調べてごらん。発表の機会をつくるから」でよいではないですか。半端な物知りよりよほどよいです、自戒をこめて。

さて、大人にふさわしいを品格ある英語が身につく会員制教材、まもなく発表します。通訳道場★横浜CATSでも活用してる最強の学習ツールとセットです。会員限定国内外イベントもお楽しみに。ご関心おありの方はこちらからご連絡先をお知らせください。ご案内さしあげます。

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母音の前はaをanにする、のウソ

appleは出だしが母音だからnを足してanにする…本当にそう思っているの?じゃあなぜだと思う?どのくらい納得している?

納得していないのにこういう疑似ルール丸のみしていると、頭が断片化(fragmentation)しちゃう。デフラグしよう。

あのねえ、母音の前はnを足す、っていうのは考え方が逆さまなの。

考えても見てごらん。aってどういう意味?「1」でしょ。「a」単体でそんな意味ある?

aはoneの残骸なのよ。oneがめんどくさくなってanになってとうとうaになった。でも後ろが母音の時はくっつけて発音すると言いやすいから断捨離されずにnが残った。

試してごらん。a apple とan apple。nがないと喉がつっかえるでしょ?

じゃあ子音始まり。a deskとan desk。nがじゃまでしょ?

先生の説明や頭で覚えることより大事なことがある。自分で言ってみて、自分のノド、口、耳で確かめる。ルールを仮定する。試して抽象度を上げる。

ほかの言語を学ぶのもおすすめ。ドイツ語やフランス語はein, unと「1」に近い形がちゃんと残ってる。

英語がわざわざ後から何かを足す、ということはめったにありません。

通訳者は膨大な情報を処理します。疑似ルールを見抜く地頭力を味方につけましょう。

 

「英語はスペリングと発音が違いすぎます!」そうかな?

「英語ってなんでスペリングと発音が違いすぎます!」

―あー、中高生も必ずそれ言うけれど、あなたもそう思うのね。たとえば?

「こんなの見つけました。 “A rough-coated, dough-faced, thoughtful ploughman strode through the streets of Scarborough; after falling into a slough, he coughed and hiccoughed.” ghの発音、いろいろありすぎです!発音どころかthrouGHなんて黙り込んじゃってお化けです。」

―お化け、いいねえ。イギリスはお化けだらけ。

実はね、みんなが思う以上に実はスペリングの通りに読んでいるんじゃないか、と思ってる。アメリカではCoke “Lite”って普通でしょ?でもイギリスでは眉を顰める人が何人もいてね。アメリカ式が嫌いというわけじゃないの。何となく気持ち悪いんだって。

で、ウェールズの友人とウェールズ語のこと色々話していたときにヒント発見。あ、ウェールズ語はね、一見つづりが奇天烈だけれど古い言語の特徴が残っていて、子音にも母音のやわらかさが残っている言語。で、ウェールズ語の「ありがとう」は”diolch”ディオッホみたいな音。

ウェールズ、スノードニアにて、2011年

私が「あら、Lはどこいっちゃったの?発音しないの?」と尋ねると、友人はなぜか天井をにらんで何度かdiolch, diolch, diolchと繰り返し…「ちゃんと言ってるわよ」と。

耳を澄ますと…あ!言ってる。音にはなっていないけれど息で言っている!声になる前に消えてしまっているけれど、確かに息で言っている。

そう思ってlightを聴いてみると…ghのタイミングで確かに息のかけらが聞こえる!息だけでghをひっかけてるような。liteだと、iのところはべたっと母音のみ。日本人発音によくあるけど、なんだか「らしくない」。

そうやって息に耳をすませてみるとbeautiful だってbūtifulとは違ってる。

そんなこと辞書に書いてない?そりゃ無理もない。あれは発「音」記号なので「息」は書いていない。でも人の声には「音と息」がある。

息なんか聞こえない?

確かにいきなりでは無理。でも慣れれば聞こえてくる。自分でも言えるようになる。自然になる。

同じヴァイオリンの曲を聴いても、弓の返しが聴いてわかるひとと、そうでないひとがいる。ひたすら聴いて、自分でもひたすら弾くと、弓の返しが呼吸のように聞こえてくる。

ひたすら聴き、ひたすら弾けばいい。

あなたの英語も同じこと。自分で夢中になれる題材を選んでやってみたら。

このコの響きを聞いたとき、私だ!と感じました。

ふと気になるのが日本語の音。平安時代から表記と発音はずれていた、と聞いたことがあるけれど、どうやって調べたのかしら。

「たまふ」と「たもう」は口、息のしぐさが違うのでは。(おお、英語でもautumnってある。)

わかりやすさを優先するあまり、もともとあったものがないことにされているのでは…
面倒くさがって昔の音質よくないCDみたいなものを歓迎しているのでは…
それが私たちの言葉への感覚、耳と頭をなまらせているのでは…

お化けと一緒にちょっと心配してる。

 

 

 

 

 

中韓の人名読み方のナゼ?-通訳者の楽しみ

キム・ジョンナム氏を巡ってなんともいえないニュースが続いています。

ところで中国、韓国に関するニュースを見ていて、あれ?と思うことはありませんか。

金正男氏はキンショウナンさんでもキンマサオさんでもなくキムジョンナムさん。でも習近平氏はXi Jimpingシー・ジンピンさんではなくて「しゅうきんぺい」さん。 

韓国・朝鮮の人名は現地読み、中国の人名は放送国日本の音読み。

これは偶然や習慣ではなくて、ちゃんと中国、韓国と「相互主義」にもとづいて取り決めてあるのです。NHKの通訳学校でそう習いました。

相互主義とはお互いに現地読みなら現地読み、放送国読みなら放送国読みにそろえよう、とう方針。

ですから、放送国読みを互いに実践する中国CCTVなら私の名前は「クワンムー・ヨウチーヅー」、現地読みの韓国KBSでは「カブキユキコ」です。

このことはNHKの放送ガイドラインの14ページに明記してあります。通訳に関心のある方は辞書的に参照することをおすすめします。

背景としてはいくつかの事情があるようで…とある韓国の方が自分の名前をメディアで日本読みされたのに不服を申し立てた…在日韓国人の方たちの団体が現地読みの要望を申し入れた…などなど。

中国の人名は、孔子、関羽、劉邦など日本の音読みで長く親しんできたので、いきなりコンツィー、グアンユー、リウバンはカッコいいけど大変。確かに、かえって混乱するでしょう。

さて、通訳者にとって手ごわいのはどちら?

横浜中華街は春節。中国語の音があふれています。

もちろん中国です。習近平氏をShoe Kim Payなんて発音しても「????」。ですから登場人物が加わるたびにアルファベット表記と発音チェックが欠かせません。調べ方は簡単。検索エンジンの翻訳サイトで確認できます。20年前じゃ考えられません。

実はこれが結構楽しいのです。どういうわけか、中国の彩り豊かな音を聴くと、ああ、この漢字は本当はそう発音してほしいのでは、と感じます。漢字の絵姿の迫力が倍加して見えます。漢字圏ならではの楽しみです。

アルファベット圏では孔子をConfuciusなんて書くんだから、だいぶ雰囲気が変わってしまう… 

先日、英語で書かれた本の翻訳で、孔子の引用に珍事発見。英文から訳したうえで「コンフューシャス」と書いてあるのです。辞書を引けば孔子と出ているでしょうに。わざと?たぶん違うね。 

通翻訳者は語学屋さんではありません。学習、検索上手の博覧強記であれ。

ご参考までに

  • 胡錦涛  Hu Jintao
  • 温家宝 Wen Jiaobo
  • 毛沢東 Mao Zedong
  • 周恩来 Zhou en-Lai

いよいよ2期始まります。

 

「一度は通訳に憧れたけれど…」諦めるのはまだ早い

「私、学生の頃通訳に憧れてたんです。ダブルスクールもしたんですが…」

―あら、そうだったんですね。

「何年も通ったんですけど、結局通訳にはなれませんでした。」

―じゃあ、今は何を?

「自宅で児童英語を教えています。自分の子どもも小さいのでなるべく一緒にいたいですし。」

―ああ、それはいいですね。

「でも…ずっとこのままでいいとも思っていないんです。」

―通訳を諦めきれていないのでしょう?

「ええ」

もしかして、通訳レッスンはこんな感じだったのでは?

教室で先生が録音を少しずつ再生、そのたびに一人ずつあてられて訳す、…なんだか上手くないな、と思いながら訳を言う。先生がちょっと直す。おおっ、よくなったと思う。でもどうしたら先生がいなくても先生のような訳ができるようになるのかなかなか見えてこない。で、自分は日本語力がないのだろうと諦めた。 

やっぱり。

フューシャの花。ウェールズにて。

訳の添削も決して無駄じゃない。でも、結果を操作して結果を改善するのは大変。もっと自然な方法がある。準備、仕込みを調えておのずとよい結果を得るという方法。言ってみれば当たり前だけど。

え?準備、仕込みが十分かどうかわからない…?

では、おたずねします。英語、日本語、それぞれで宴会芸として5分以上語れる演目はありますか?

5分以上しゃべる、じゃありません。古典的演目を一字一句たがわず語るのです。

例えば「外郎売の口上」(歌舞伎十八番より)、「祇園精舎」「那須与一」(平家物語)くらいのまとまりがあるものです。小倉百人一首はひとつひとつが短いので除外。「知らざあ言ってきかせやしょう」は小手試しにはいいけれど、短い。

英語ならParadise Lost (John Milton)出だしの26行にわたるInvocationや短くてもWordsworthDaffodils。それからLincolnThe Gettysburg Address 

え、そんなレパートリーない?じゃあ英語話すとき頭の中で英作文することはありませんか? 

ある?…やっぱり。その状態では苦しいです。早く演目を体得、暗誦してください。

このくらいの分量になるとアタマの黒板に文字を思い浮かべている場合じゃなくなるんです。カラダから言葉が勝手に沸き上がるような感覚に変わる。まるで飛行機が雲の上に出るように。 

雲の上に出るのは自力で!ドーヴァー海峡を西へ。

そのためには自分の時間で繰り返し練習すること。私が代わりになることはできません。ずっとそばにいてやいのやいの言うわけにもいきません。自分でやってください。きっとできます。100回やるまで「できない」と言わないで。100回やってできなかったら1000回やればいい。自分でやることなのでお金もかかりません。それで次元が変わる。こんな面白いことあるかしら。

訳文添削が生きるのはこのあとです。 

通訳は神ワザでもなんでもありません。理に適った方法で学べる人間らしい技です。何よりひとの話をじっくり聴くのが楽しみになります。第一歩はまとまりのある演目を体得すること。あなたのお気に入りを聞かせていただくのを楽しみにしています♪

 

 

近代日本初の女性翻訳家は福島のひとでした

「翻訳やってみたいんです。」
あ、そう。またなんで?
「だってなんかかっこいいから…!」
あのねえ???そういう人は沢山いるよ。最近Google翻訳もすごいから、ただ翻訳というのはどうかなあ。

ところで日本の女性翻訳家第1号って誰だか知ってる?村岡花子さん?いえいえ、もっとずっと前のこと。

6歳で会津を離れて以来、戻ることはありませんでした

私は若松賤子(わかまつしずこ)だと思っています。もちろんペンネーム。若松は故郷の会津若松。賤子は「神の賤女(はしため)」の意。1864年、会津藩士の娘に生まれるけれど戊辰戦争で一家は離散。利発な賤子を不憫に思ったのは横浜の貿易商の番頭大川甚兵衛さん。この番頭さんに養女として引き取られ、6歳でひとり横浜にやって来たのです。

列強の外交官、それこそ隠密がうようよしていた横浜。会津の隠密の娘に居場所があったと思う?

あったのです。

それはアメリカ人女性宣教師キダー女史が始めた学校。これもどうかしてる。まだキリシタンが禁じられていた日本にアメリカから女性が船に乗って来て学校を造るなんて。(その学校に行かせようと思う番頭さんもすごい。これはきっとビジネスマンのセンス。)

女性宣教師が志高かったのは間違いないけれど、もうひとつ事情があるそう。教会に女性聖職者が認められたのは比較的最近でしょう?当時はアメリカでも女性はなかなか活躍の機会を得られなかったのです。

「小公子セディ」初の邦訳

この学校に賤子は7歳から通います。英語のみでなく博覧強記の教養を身につけ、たった一人の1期生として卒業。教員につきながら翻訳、執筆に活躍。なかでも名訳の評判高かったのがバーネットの「小公子」。

確かに学校が楽しくて夢中に学んだのでしょう。でもそれだけではなくて…賤子には独特の気配があるのです。背水の陣同志、失うものなどもう何もない同志の緊張感、覚悟を感じるのです。

だから、ずば抜けた。

日本語そのものが混乱していた時代、電子辞書なんかない時代に自分で言葉を見つけた、磨いた。

あなたもファッション雑誌で服を眺めるみたいに人が用意した選択肢をあれもいいな、これもいいな、と言っているうちは、まだ群れの中。点数競争、価格競争にまきこまれる。それはつまらないし、私なんかもたないと思うけどね。

自分の道を見出すのは、すべてを奪われる、失うような経験がきっかけのことも。それを世間は挫折、失敗と呼ぶ。でも恩寵の入り口は失敗の顔をしてやってくるようですよ。恩寵の入り口は自分にしか見えない。のんびり屋の私がそんな思いをしたのは31歳のとき。

あちゃー、31歳。長く肺を患っていた賤子が世を去った年。これでは朝ドラには短すぎますねえ。FTVあたりで2時間ドラマにならないかなあ。

福島県立図書館の若松賤子情報はこちら

 

ボランティアの意味は「無償奉仕」?

あなたの周りにこんな人はいませんか?
「ボランティアって無償奉仕」
「仕事としてお金を頂くほどのレベルでないのでボランティアで…」
両方ともちょっと違います。

volunt- はラテン語の「意志」に由来。ボランティアは「自らの意志により行動する者」という意味。だから「志願兵」という意味にもなる。教室で先生が「誰かやってみたい人は?」と呼びかける時も「Any volunteers?」というのがお決まり。

報償の有無やスキルのレベルのことではありません。

ストックホルム近郊の農場。ボランティアが大活躍。

どんな事業も始まりはたった一人のボランティアかも。まだ世間は気づいていないけれどやがて喜ばれるはず、と信じて始める。ときには無償ボランティア以下の局面もある。でも、世間が価値を認めれば立派な有償ボランティアになる。世間からの報償を再投資、分かち合えるようになる。

だから、本当に必要で大切と信じていることがいつまでも完全無償ボランティアなのは心配。それで気持ちが晴れ晴れとしていればいいけれど、苦い気持ちをひきずっていませんか?仕組みそのものに無理がありませんか?海外の方法をそのまま持ち込んでいませんか?それって誰のため?

こういうこと、自主教育の場でよくあるようですが…大人の疲れを子どもは感じとりますよ。

報償は現金に限りません。参加すること自体がステイタスになる、畑の野菜を穫り放題、なんていう場合もあります。

人が価値を生み出したのに何も動いていないのは…私なら落ち着きません。何らかのお礼をして、そのお礼をさらに活かしてもらいたい。あなたところは大丈夫ですか?

実は私、学校運営には目利き、一家言ございます。それは通訳道場に活かしますが…お困りの折はご一報を。

”In terra pax hominibus bonae VOLUNTATIS”
地には平和、志善き人にあれ。
(ルカ 2章14節)

 

「守破離」をBBCでアクラム・カーンに聴く―学び始めたら自由より大事なこと

外国語でも、楽器でも、学び始めるとカメの歩みがもどかしくなるときがあります。毎日の少しずつの積み重ねなんて古い精神論じゃないか…って。

「意識が変われば…」「…を3時間でマスター」

そんなフレーズをきくと、今の自分のやり方がいかにも要領悪く、効率悪い気がしてくるものです。

大丈夫。そんなことありません。

意識を調えたり、全体を短時間で俯瞰したりするのは積み重ねに先立つ準備。あくまでも準備。積み重ねの代替ではありません。大げさな言葉に騙されないで。焦ることはありません。

きっとあなたがすでに習慣にしていることのなかにとてもよいことがあるはず。それを少しずつ育ててね…といいたいけれど、べらぼうに増やし、続けることです。

って、自分の楽器修行を励ましている気がしてきました…。

アクラム・カーンさんは振付師。テロの犠牲者を悼むAbide with Meという作品でロンドン・オリンピック開会式を沸かせました。

いいこと言ってくれるじゃない。この眼差しと意外な声の組み合わせがたまりませぬ♬

アクラム・カーンさん、BBC HARD Talkにて。
画像をクリックすると別窓でビデオ視聴できます。カーンさんの言葉、英日両方で書いておきました。ビデオと並べてご覧ください。

何て美しい方♡

I think, in any form, if you really want to
have a profound impact on it
you have to become obsessed by it.
And I do believe in deep down
at whatever technique it is,
it has to imprison you.
…You have to learn it so much
You have to learn about it so much
You have to do it so much
that eventually in that imprisonment…
you find freedom out of that imprisonment.
You find freedom out of that form
that you’ve been trying to perfect.
Yeah, pain, of course.
Everything is a pain.
Everything is a hard work.
If you want to be good at anything,
you have to work hard,
you have to sacrifice.
If you feel it a sacrifice,
that’s already a problem
If you consider to…for you to be what you are
you have to put in many many hours of work.
you have to do it.
you have to go through it.
思うんですが、どんな表現形式でも
本気で深いインパクトを与えたいと思ったら
取り憑かれたように夢中にならないとね。
本当に思うんですが、どんな技芸であれ
その深いところで
自分を囚われの身にしないと。
べらぼうに習い
べらぼうに知り
べらぼうにやるからこそ、やがて
その囚われのうちに…
自由になるんですよ、その囚われから。
自由になるんです、その表現形式から。
完成させようと努めてきたその形式から。
ええ、辛いですよ、もちろん。
何事も辛い。
何事も取り組めば大変。
何であれ上手くなりたかったら
しっかり取り組まねば。
犠牲を払わなくては。
それを犠牲と感じる時点で
もう問題ですけどね。
その道でそれなりになりたかったら
長い長い時間をかけて取り組まねば。
やらなくては。
やり抜かなくては。