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日本のビジネスと米国の反知性主義と

ここのところミッションだ、ビジョンだ、と書いています。でも、ビジネスマンもキリスト教で言葉の由来をちゃんと勉強しましょうね、なーんてちーっとも思っちゃちゃおりません!!

知りたかったことはたったひとつ。

日本語でビジネスの話をしていると、キリスト教っぽいカタカナがどんどん出てくる。そりゃ仕事と生きることを真剣に考えるのは大事。でもすごいスピードで無邪気に心の領域に踏み込んでくる人がやたら多い。なんなんだ、それ。だいたい「あなたはお金に関するメンタルブロックを解除しなくちゃね」のような言い方をする。自分が相手を誤解しているのでは、という疑いの余地はどうもあまりないらしい。もちろんカチンと来る。それこそMind your own business.

でも個人どうしの性格、相性の問題ではない匂いがしていました。だって皆さん、ものの言い方があまりに似ている。

だからもっと大きな社会的、歴史的背景がある気がしてならなかったのです。その手掛かりが得られれば個人どうしの問題にしなくてすむ。

あれ?そういえばヨーロッパの人たちはそんなこと言わないなあ…むむむ、やっぱり。

この本を読んでわけがわかりました。お久しぶり、森本先生、これ面白かった!帯は大げさで外れだと思いますけどね。

ICU副学長の森本Henry先生の近著。

反知性主義といっても決しておバカでよいなどという意味ではありません。

確かにこの頃日本では反知性主義という言葉を「まともに考えない。知的でない」というニュアンスで使うことがあります。でもアメリカではちょっと違います。anti intellectualismはインテリと権力の癒着への抵抗をあらわします。まったくもってごもっとも。

ここでインテリというのは科学者や哲学者ではなく教会制度に属する牧師のこと。ヨーロッパで教会は政治権力と結びついて、国費、税金で支えられていました。いいご身分だけれど仲間入りするにはインテリでないと。それでいて下々には「この世は辛いもの。あの世で幸せになるには信心を」と教えていたのですからたいしたもんだ。坊主丸儲け。

それを疑問視する人たちがアメリカではインテリ「牧師」ではなく「伝道者=エヴァンジェリスト」(巡回セールスマンの原型)として活躍。アメリカの教会はあの世だけじゃなくこの世の幸せにも肯定的。本当は不安だらけの成功者たちの心の支えにもなりました。

大いに結構。ただ…それが高じてアメリカはポジティブ病に(大雑把ですみません)。

実は追いつめられて拒食症になっていた高校生の頃、ノーマン・ピールというアメリカの伝道者の本を読みました。ちょっと励まされた。でもあまりにポジティブ、自分中心で、私は相当参っていたのに、なんじゃこりゃ、冷戦と軍拡の80年代にはもう合わないぞと感じていました。なるほど、第二次大戦が終わってまもなくの著作。ところが21世紀の今でもアメリカには彼の影響を受けた輪をかけてポジティブな自己啓発が山ほど。

下山の思想とか「?」なんでそうね。ご苦労様、自己啓発はきりがないよ。特に最新の脳科学なんて言い出すと。ああ、きりながいからいいのか。私は乗る気がしないなあ、悪しからず。

まあとにかく、アメリカでは教会が政治権力を離れ、ビジネスに近づいた。ビジネスは教会の言葉を借りて心の領域に近づいた。それ自体別に良くも悪くもない、ヨーロッパにはない試みです。その残響を日本のビジネス用語の中に聴いていたようです。

ちょっとすっきり。ちょっとだけどね。

 

ビジネス用語はまるで宣教師みたいだけど…

「御社のミッションは…」
「社長は明確なビジョンを…」
「オムニのエバンジェリストの○○さんは…」

あら!ビジネスにはミッションスクールみたいな言葉が沢山。確かに宣教師は洗練されたマーケターとセールス集団。戦争、大量生産・消費を経てモノ余りの今日、生き残ったホンモノどうしが頂で出会うってこういう感じかしら…

とは思ったものの、微妙な違いが気になりました。これには理由がありそう(あるんです!)。

たとえば、キリスト教ではおなじみなのに、ビジネスマンの口からは出てこない言葉があります。

それはcalling, vocation。コーリング、召命と言います。神様の呼び声のことです。これを聞かなかったふりしてトンずらしてえらい目にあったのが、あの魚に呑まれたヨナです。
こんなふうに始まります。

主の言葉がアミッタイの子ヨナに臨んでいった、「立って、あの大きな町ニネベに行き…」(ヨナ書1章1節 1955年口語訳)
Now the word of the Lord came unto Jonah the son of Amittai saying, Arise, go to Nineveh that great city, and….(King James Version 欽定訳)

bibelwissenschaft.deより

ヨナはは偏屈で一緒に呑みに行きたくないタイプです。でもこの話は面白い。くわしくは旧約聖書のヨナ書をどうぞ。

コーリングに応えて「遣わされる」のがミッション。ラテン語mittere「ある務めを担って遣わされる」が語源。「遣わす」声の主、大いなる存在は別にいるという感覚です。

え、そんなことビジネスに関係ない?もっと主体的でないと?キリスト教の知識なんかいらない?そりゃそうかもしれません。でもそう思う前提、価値観も何らかの方向性を帯びているのですよ。その方向づけの正体がこのごろ見えてきましてね。次回はビジョンvisionをとりあげます。

どれだけ「当たり前」を疑えるかが精神の自由を左右すると私は思うのですよ。

 

 

途方もない翻訳を、福島の若い人たちと一緒に完成したい

あなたはどう仕事を決めるの?

小さい頃から憧れていた?よかったね。

なりゆき?家族のため?それもアリだよ。

私?

それが不思議で…振り返れば誰かに導かれていたと思うことばかり。

大方のひとが将来の仕事を決める学生の頃、私はまさか自分が通訳になるとは思っていなかった。当時の通訳は、まあ今でも大方のイメージだけど、才気煥発の女性がブースでヘッドフォンかぶって通訳独特の口調で…。で、通訳でなければ会えないようなすごい人に出会えたって喜んでいて…なんだそりゃ、あなたはすごくないの?みっともない。私には関係ないと思っていた。

でも、就職カタログにあるほかのどの仕事も私の心に響かなかった。すでにカタログに載っている仕事の中に私がやるべきことはない…と思った。

まだ湯気みたいな形ないものを、形にする役目なのかな?そんな気がしていた。

そのころ私が夢中だったのは、言葉の世界をひもとくこと。17世紀の英詩の、一見わけわからない言葉の羅列を丁寧にひらいていくことで、驚くような映画が心に生まれる。それが面白くて1日何時間Oxford English Dictionaryの前で過ごしたことか。言葉という不思議な世界といつも共にいたいと願っていた。一生辞書の前でも幸せだった。

それからいろいろな山谷があって…!!!

なんと今は通訳になって、通訳を教えている。
「こんなに四角くも丸くもない通訳ってできるんだ」
「なんだかこんなのは初めて聞いたけど、これが本来の通訳。」
そんなふうに言ってもらうたびに嬉しい。

そしてびっくりした。25年ぶりに相馬にゆかりの深い恩師、齋藤和明先生による「楽園失われて」。なんと、いまの私の通訳の軸、従来の通訳養成には見当たらない軸がすでにここにあったのです!

日本では「失楽園」として知られるミルトンのParadise Lost。でも先生は「楽園失われて」とイメージの順のまま。学生時代は、先生の訳はのんびりして先生らしいけれど、なんだかおかしいなあ、と思ったくらい。イメージの順を狂わせることがどれほど情報を、映像をゆがめるか、痛感したのはずっとあと。世の通訳、翻訳にふれておやおやまあまあと思ってからのこと。

改めて読むと「音声を文法(カメラ設定)に基づいてイメージに置き換える」「イメージの順を最大限守って訳す」そのもの。

Of man’s first disobedience, and the fruit

Of that forbidden tree, whose mortal taste

Brought death into the world, and all our woe,

With loss of Eden till one greater man

Restore us and regain the blissful seat,

Sing heavenly Muse that on the secret top Of Oreb, or of Sinai didst inspire

That shepherd, who first taught the chosen seed,

In the beginning how the heavens and earth

Rose out of chaos:

 

 

どうか、ひとの初めての服従拒絶の心について、あの果実について

戒められたあの木の過日味わう静べきものの、致死の、行為が

この世に資、そして我らの苦しみ悲しみのすべてをもたらし、

イーデンをも失わせ、だがうあがて一人の大いなるひと、われらを

かつてのわれらに再生させ、この上ない喜びの座を再獲得するが、

歌ってくれ、どうか、これらのことについて、天の詩神よ。あなたは

孤高の山ホウレブ、またはサーイナイの頂で、むかし

あの羊飼いに霊感を吹き込んだ方。その羊飼いとは

選ばれた種族に、始めに天と地、いかに混沌より現れ出でたかを

初めて教えたそのひとだが…

(ミルトン「楽園失われて」巻一、巻二 齋藤和明訳 国際基督教大学学報 人文科学研究より

和明先生のたまわく。

この詩の詩調は、英詩の英雄詩体である。脚韻は用いていない。…中略…実は、われわれの英語で書かれた最もよい悲劇作品も、以前から脚韻を使っていない。脚韻そのものは、それだけでは、明敏な耳すべてにとって、瑣細なものであり、真の音楽性がもたらす喜びを生まないものだからでさる。音楽性からの喜びは、ふさわしい音調、しかるべき長さの音節、そしてそこに込められている意味が、一行から次の一行へと、それも一様にではなく、引きつがれ伸び広がってうくことに存在するので、それ以外にはない。行の末尾が同じ音を反復させることに存在するものでは決してない。…中略…それゆえ脚韻をここで採用しなかったことは欠陥とみなされるべきではない。むろん低俗な読者には、そう見ててもしかたないが。これはむしろ、あのわずらわしい、現代詩が受けている束縛、つまり脚韻からの自由、英雄詩のために回復された自由の例として、かつて古代には確かにあった自由の例として、しかも英詩の場合では最初の一例として受け取られ評価されるべきものなのである。」

なんだ、私はサイマルやNHKの先を一人で走っているつもりだったけれど、ずっと前に出会っていたんだ。

困ったことに和明先生は12巻中、6巻以降の訳を残してご帰天。

途方もないことを想っています。和明先生の心のふるさとは相馬。和明先生の恩師斉藤勇先生のふるさとは福島。だから私は福島に学恩があります。福島の若い人たちとこの続きをやりたい。これは途方もないこと。歴史、宗教、語法…通翻訳技術…一気にとりくむことになる。

でもね、こういうことのほうが、明日役に立って明後日だめになるようなことに血道を上げるより、よっぽど力になるんですよ。あとに残せるんですよ。

福島の人たちは「までい」な仕事をする。その「までい」さを活かして、売ってもなくならないもの=通訳、翻訳を売る道もあるよ、と若い人たちに伝えたい。

というわけで、言葉の世界に魅了されながら、現行のカタログに満足がいかない福島の若い人に会いたいです!Oxford English Dictionaryのある図書館で逢いましょう!どこかな?

ぜんぶで30巻あまり…

愛は学校の手洗い場である

ある教育研究グループではシュタイナー教育について海外講師を招いたセミナーを数多く主催。通訳としてずいぶんお世話になりました。

そんなある日、不穏な空気。リーダーとメンバーの間がぎくしゃくしていたのです。

「彼は自分で言い出したこと以外はやらせてくれないんだよね。」
「もっとこうしたら、と提案すると『もうやってる』って怒る。」
「私なんか『じゃあ君がやれば』って言われた。」

―どうしてほしかったの?

「リーダーなんだからグループ全体にとってこのアイデアでいいか俯瞰したうえでyes, no出してほしかった。彼を責めるつもりなんかなかったし。」
「どうして個人的に反応しちゃうんだろうね。なんか戦闘態勢でびびってる。」
「愛情不足なんじゃない。難しい家庭だったんだって。」

ーねえねえ、リーダー論までは立派だったのに、だんだん話がずれてるよ。プライベートな詮索はいやだなあ。それに愛情不足って簡単に言うけどさあ、人の心に簡単に土足で踏み込む人が多すぎるよ。

愛って学校の手洗い場みたいなもんだと私は思ってる。お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさん、学校の先生、友達、近所のおばさん、習い事の先生、魚屋のおじさん。みんなそれぞれ口径の違う蛇口。

なつかしいなあ~

でも蛇口が水源じゃない。水源はもっと共通の大きなところ。井戸?水道なら屋上のタンク、市の浄水場、横浜なら山梨の道志村、雨、雲…

だから蛇口ひとつバカな男子が消しゴム突っ込んで詰まらせたとしても、隣の蛇口からブヒャ―ッと出てくる。

ひとつ詰まってもどこかが開いている。全体として足りるようになっている。ぜんぶ詰まったらトイレが洪水か貯水タンクが破裂だ(自分でもよくわからないこと言ってますが)。

だから、もし彼が詰まった蛇口の前で被害者の顔で立ち尽くしているように見えるなら…まずみんなが近くでブヒャーッと噴水するほうが先なんじゃない?

大丈夫、渇水はしないから。蛇口の内側きれいになるかもよ。けちけちしてると干からびちゃうよ。

 

 

「英語はスペリングと発音が違いすぎます!」そうかな?

「英語ってなんでスペリングと発音が違いすぎます!」

―あー、中高生も必ずそれ言うけれど、あなたもそう思うのね。たとえば?

「こんなの見つけました。 “A rough-coated, dough-faced, thoughtful ploughman strode through the streets of Scarborough; after falling into a slough, he coughed and hiccoughed.” ghの発音、いろいろありすぎです!発音どころかthrouGHなんて黙り込んじゃってお化けです。」

―お化け、いいねえ。イギリスはお化けだらけ。

実はね、みんなが思う以上に実はスペリングの通りに読んでいるんじゃないか、と思ってる。アメリカではCoke “Lite”って普通でしょ?でもイギリスでは眉を顰める人が何人もいてね。アメリカ式が嫌いというわけじゃないの。何となく気持ち悪いんだって。

で、ウェールズの友人とウェールズ語のこと色々話していたときにヒント発見。あ、ウェールズ語はね、一見つづりが奇天烈だけれど古い言語の特徴が残っていて、子音にも母音のやわらかさが残っている言語。で、ウェールズ語の「ありがとう」は”diolch”ディオッホみたいな音。

ウェールズ、スノードニアにて、2011年

私が「あら、Lはどこいっちゃったの?発音しないの?」と尋ねると、友人はなぜか天井をにらんで何度かdiolch, diolch, diolchと繰り返し…「ちゃんと言ってるわよ」と。

耳を澄ますと…あ!言ってる。音にはなっていないけれど息で言っている!声になる前に消えてしまっているけれど、確かに息で言っている。

そう思ってlightを聴いてみると…ghのタイミングで確かに息のかけらが聞こえる!息だけでghをひっかけてるような。liteだと、iのところはべたっと母音のみ。日本人発音によくあるけど、なんだか「らしくない」。

そうやって息に耳をすませてみるとbeautiful だってbūtifulとは違ってる。

そんなこと辞書に書いてない?そりゃ無理もない。あれは発「音」記号なので「息」は書いていない。でも人の声には「音と息」がある。

息なんか聞こえない?

確かにいきなりでは無理。でも慣れれば聞こえてくる。自分でも言えるようになる。自然になる。

同じヴァイオリンの曲を聴いても、弓の返しが聴いてわかるひとと、そうでないひとがいる。ひたすら聴いて、自分でもひたすら弾くと、弓の返しが呼吸のように聞こえてくる。

ひたすら聴き、ひたすら弾けばいい。

あなたの英語も同じこと。自分で夢中になれる題材を選んでやってみたら。

このコの響きを聞いたとき、私だ!と感じました。

ふと気になるのが日本語の音。平安時代から表記と発音はずれていた、と聞いたことがあるけれど、どうやって調べたのかしら。

「たまふ」と「たもう」は口、息のしぐさが違うのでは。(おお、英語でもautumnってある。)

わかりやすさを優先するあまり、もともとあったものがないことにされているのでは…
面倒くさがって昔の音質よくないCDみたいなものを歓迎しているのでは…
それが私たちの言葉への感覚、耳と頭をなまらせているのでは…

お化けと一緒にちょっと心配してる。

 

 

 

 

 

「一度は通訳に憧れたけれど…」諦めるのはまだ早い

「私、学生の頃通訳に憧れてたんです。ダブルスクールもしたんですが…」

―あら、そうだったんですね。

「何年も通ったんですけど、結局通訳にはなれませんでした。」

―じゃあ、今は何を?

「自宅で児童英語を教えています。自分の子どもも小さいのでなるべく一緒にいたいですし。」

―ああ、それはいいですね。

「でも…ずっとこのままでいいとも思っていないんです。」

―通訳を諦めきれていないのでしょう?

「ええ」

もしかして、通訳レッスンはこんな感じだったのでは?

教室で先生が録音を少しずつ再生、そのたびに一人ずつあてられて訳す、…なんだか上手くないな、と思いながら訳を言う。先生がちょっと直す。おおっ、よくなったと思う。でもどうしたら先生がいなくても先生のような訳ができるようになるのかなかなか見えてこない。で、自分は日本語力がないのだろうと諦めた。 

やっぱり。

フューシャの花。ウェールズにて。

訳の添削も決して無駄じゃない。でも、結果を操作して結果を改善するのは大変。もっと自然な方法がある。準備、仕込みを調えておのずとよい結果を得るという方法。言ってみれば当たり前だけど。

え?準備、仕込みが十分かどうかわからない…?

では、おたずねします。英語、日本語、それぞれで宴会芸として5分以上語れる演目はありますか?

5分以上しゃべる、じゃありません。古典的演目を一字一句たがわず語るのです。

例えば「外郎売の口上」(歌舞伎十八番より)、「祇園精舎」「那須与一」(平家物語)くらいのまとまりがあるものです。小倉百人一首はひとつひとつが短いので除外。「知らざあ言ってきかせやしょう」は小手試しにはいいけれど、短い。

英語ならParadise Lost (John Milton)出だしの26行にわたるInvocationや短くてもWordsworthDaffodils。それからLincolnThe Gettysburg Address 

え、そんなレパートリーない?じゃあ英語話すとき頭の中で英作文することはありませんか? 

ある?…やっぱり。その状態では苦しいです。早く演目を体得、暗誦してください。

このくらいの分量になるとアタマの黒板に文字を思い浮かべている場合じゃなくなるんです。カラダから言葉が勝手に沸き上がるような感覚に変わる。まるで飛行機が雲の上に出るように。 

雲の上に出るのは自力で!ドーヴァー海峡を西へ。

そのためには自分の時間で繰り返し練習すること。私が代わりになることはできません。ずっとそばにいてやいのやいの言うわけにもいきません。自分でやってください。きっとできます。100回やるまで「できない」と言わないで。100回やってできなかったら1000回やればいい。自分でやることなのでお金もかかりません。それで次元が変わる。こんな面白いことあるかしら。

訳文添削が生きるのはこのあとです。 

通訳は神ワザでもなんでもありません。理に適った方法で学べる人間らしい技です。何よりひとの話をじっくり聴くのが楽しみになります。第一歩はまとまりのある演目を体得すること。あなたのお気に入りを聞かせていただくのを楽しみにしています♪

 

 

近代日本初の女性翻訳家は福島のひとでした

「翻訳やってみたいんです。」
あ、そう。またなんで?
「だってなんかかっこいいから…!」
あのねえ???そういう人は沢山いるよ。最近Google翻訳もすごいから、ただ翻訳というのはどうかなあ。

ところで日本の女性翻訳家第1号って誰だか知ってる?村岡花子さん?いえいえ、もっとずっと前のこと。

6歳で会津を離れて以来、戻ることはありませんでした

私は若松賤子(わかまつしずこ)だと思っています。もちろんペンネーム。若松は故郷の会津若松。賤子は「神の賤女(はしため)」の意。1864年、会津藩士の娘に生まれるけれど戊辰戦争で一家は離散。利発な賤子を不憫に思ったのは横浜の貿易商の番頭大川甚兵衛さん。この番頭さんに養女として引き取られ、6歳でひとり横浜にやって来たのです。

列強の外交官、それこそ隠密がうようよしていた横浜。会津の隠密の娘に居場所があったと思う?

あったのです。

それはアメリカ人女性宣教師キダー女史が始めた学校。これもどうかしてる。まだキリシタンが禁じられていた日本にアメリカから女性が船に乗って来て学校を造るなんて。(その学校に行かせようと思う番頭さんもすごい。これはきっとビジネスマンのセンス。)

女性宣教師が志高かったのは間違いないけれど、もうひとつ事情があるそう。教会に女性聖職者が認められたのは比較的最近でしょう?当時はアメリカでも女性はなかなか活躍の機会を得られなかったのです。

「小公子セディ」初の邦訳

この学校に賤子は7歳から通います。英語のみでなく博覧強記の教養を身につけ、たった一人の1期生として卒業。教員につきながら翻訳、執筆に活躍。なかでも名訳の評判高かったのがバーネットの「小公子」。

確かに学校が楽しくて夢中に学んだのでしょう。でもそれだけではなくて…賤子には独特の気配があるのです。背水の陣同志、失うものなどもう何もない同志の緊張感、覚悟を感じるのです。

だから、ずば抜けた。

日本語そのものが混乱していた時代、電子辞書なんかない時代に自分で言葉を見つけた、磨いた。

あなたもファッション雑誌で服を眺めるみたいに人が用意した選択肢をあれもいいな、これもいいな、と言っているうちは、まだ群れの中。点数競争、価格競争にまきこまれる。それはつまらないし、私なんかもたないと思うけどね。

自分の道を見出すのは、すべてを奪われる、失うような経験がきっかけのことも。それを世間は挫折、失敗と呼ぶ。でも恩寵の入り口は失敗の顔をしてやってくるようですよ。恩寵の入り口は自分にしか見えない。のんびり屋の私がそんな思いをしたのは31歳のとき。

あちゃー、31歳。長く肺を患っていた賤子が世を去った年。これでは朝ドラには短すぎますねえ。FTVあたりで2時間ドラマにならないかなあ。

福島県立図書館の若松賤子情報はこちら

 

「守破離」をBBCでアクラム・カーンに聴く―学び始めたら自由より大事なこと

外国語でも、楽器でも、学び始めるとカメの歩みがもどかしくなるときがあります。毎日の少しずつの積み重ねなんて古い精神論じゃないか…って。

「意識が変われば…」「…を3時間でマスター」

そんなフレーズをきくと、今の自分のやり方がいかにも要領悪く、効率悪い気がしてくるものです。

大丈夫。そんなことありません。

意識を調えたり、全体を短時間で俯瞰したりするのは積み重ねに先立つ準備。あくまでも準備。積み重ねの代替ではありません。大げさな言葉に騙されないで。焦ることはありません。

きっとあなたがすでに習慣にしていることのなかにとてもよいことがあるはず。それを少しずつ育ててね…といいたいけれど、べらぼうに増やし、続けることです。

って、自分の楽器修行を励ましている気がしてきました…。

アクラム・カーンさんは振付師。テロの犠牲者を悼むAbide with Meという作品でロンドン・オリンピック開会式を沸かせました。

いいこと言ってくれるじゃない。この眼差しと意外な声の組み合わせがたまりませぬ♬

アクラム・カーンさん、BBC HARD Talkにて。
画像をクリックすると別窓でビデオ視聴できます。カーンさんの言葉、英日両方で書いておきました。ビデオと並べてご覧ください。

何て美しい方♡

I think, in any form, if you really want to
have a profound impact on it
you have to become obsessed by it.
And I do believe in deep down
at whatever technique it is,
it has to imprison you.
…You have to learn it so much
You have to learn about it so much
You have to do it so much
that eventually in that imprisonment…
you find freedom out of that imprisonment.
You find freedom out of that form
that you’ve been trying to perfect.
Yeah, pain, of course.
Everything is a pain.
Everything is a hard work.
If you want to be good at anything,
you have to work hard,
you have to sacrifice.
If you feel it a sacrifice,
that’s already a problem
If you consider to…for you to be what you are
you have to put in many many hours of work.
you have to do it.
you have to go through it.
思うんですが、どんな表現形式でも
本気で深いインパクトを与えたいと思ったら
取り憑かれたように夢中にならないとね。
本当に思うんですが、どんな技芸であれ
その深いところで
自分を囚われの身にしないと。
べらぼうに習い
べらぼうに知り
べらぼうにやるからこそ、やがて
その囚われのうちに…
自由になるんですよ、その囚われから。
自由になるんです、その表現形式から。
完成させようと努めてきたその形式から。
ええ、辛いですよ、もちろん。
何事も辛い。
何事も取り組めば大変。
何であれ上手くなりたかったら
しっかり取り組まねば。
犠牲を払わなくては。
それを犠牲と感じる時点で
もう問題ですけどね。
その道でそれなりになりたかったら
長い長い時間をかけて取り組まねば。
やらなくては。
やり抜かなくては。

 

 

 

進路に迷う高校生に大事にしてほしいこと

29年前の2月9日の夕方、私は自分史上最高にゴキゲンでした!こんなに面白く学んだ日はない。それを誰かにしゃべりたくてしょうがない!もうコーフン。2時間半の帰り道、外は真っ暗でも心の中は満艦飾!

私が家族にまくしたてたのは…ICUの入試です。…変?

いや、だって面白かったんだもの。自然科学、人文科学、社会科学、どれも壮大で深くて。テストだってことなんか忘れてた。ICUの先生の書き下ろし課題文はそのまま手紙、贈り物だった。(一般能力と英語はまあ普通でしたけど。)今でも3科の課題文についてはあの頃のようにまくし立てられます。ご迷惑でしょうから簡単にまとめます。

  • 自然科学:ほうれん草が発芽する条件を読んで東南アジアでのケースを元に別の地域での生長をシミュレーション。気温、土壌などの条件を月、太陽の運行まで含めて計算するという物理、化学、地学、生物の垣根を超えたテーマ。
  • 社会科学:日本人が政治に「グレー」なイメージを抱く理由を古代ギリシャのポリスの成立と比較して考察。
  • 人文科学:古代ギリシャとキリスト教の「死すべきもの」観。

いや、べつに外郎売りみたいに毎日暗誦しているわけじゃありません。たぶん試金石としていつも使っているから、忘れないのだと思います。

 

いまの高校生、学部、学科をどう選んでいるのかな?なりたい職業が決まっていて迷いなく選べる人はいいけれど、みんなが職業志向じゃないでしょ。何も選ばないわけにはいかないんだから、迷っている人はどうしているんだろう

30年余り前の私がそうでした。というより、私の求めるものは心にはっきり描いてありました。人はどこからきてどこへ行くんだろう。誰もがやがて死んでしまうのになぜよりよく生きようなどとするのだろう。なぜ戦争はなくならないのだろう。国家とはなんだろう。時間とはなんだろう。こんなことばかり考えていた。気になって、気になって、どこが就職に有利か、なんて頭が回らなかった。哲学科、政治学科、史学科…どれもピンとこなかった。

だからICU(国際基督教大学)を見つけたときは飛び上がるほど嬉しかった!なんて広い視界。ここなら自由に問える。わかったふりしないですむ。必ずここに行くという直感がありました。誰に反対されてもゆるがなかった。

迷っている、どれもピンと来ないと思っているなら、迷っているとうことを大事にしてください。違和感はあなた自身の答えに至る道の入り口です。不平、不満とは違う。無視してはいけません。大事にしないとあとでちゃんと戻ってきます、痛みとともに。

人間にはどうも群れの中で楽しく生きる部族と、人より余分になぜ?を繰り返して群れの外に生きる部族がいるみたい。優劣の問題ではなく、別部族。両方必要。ただ、なぜなぜ族が前者に合わせると破たんします。なぜなぜ族は孤独を味わうかもしれないけれど、新しいルールを作るのに長けている。

これが滑走路。両親説得ツアー敢行。

なぜなぜ族の若いもんがそのめんどくさいところを大切にするよう、同部族のおばちゃんは願ってます。

え、就職が心配?あのねえ。それはまた別稿で。それまでこれ読んどいて。

狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。(マタイ 7-13)

Enter through the narrow gate. For wide is the gate and broad is the road that leads to destruction, and many enter through it.” (NIV)

Enter ye in at the strait gate, for wide is the gate and broad is the way that leadeth to destruction, and many there be who go in thereat. (21世紀欽定訳)