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仕事の英語がもう少しできたらいいのに、という方に

「仕事でもう少し英語ができたほうがいいと思って、スクールを150分週2回に増やしたんですが、どうも…」
―レッスンとレッスンの間の自習は…?
「いえ…忙しくてとてもとても。」
―じゃあ、英語を話すとき頭の中で英作文してるでしょ。
「はい。」

それだと半永久的に今のレベルでしょうね。目的が読む、書く、話すのどれであれ、まず「頭の中で英作文」レベルを脱しましょう。

そのためには「英語の耳」をつくること。

「耳ができている」とは英語という音楽のリズム、ビート、メロディーラインを獲得していること。これを抜かして話す練習をしても聴き手に負担をかける品性の劣る話し方になるばかりです。

耳をつくるためには3か月くらいのうちに100時間、ネイティブが自然に話している音声を聴くこと。週末を抜かして平日190分くらいでしょうか。

このシリーズ、価格の10倍の価値を認めます!

おすすめは朝日出版の100万語聴破シリーズ。たった1300円足らずで自然な語りの音声(音読=文字読み上げ、ではない)、対訳テキストがついています。英語と米語は音楽的には別の言語ですから、どちらか決めるといいですよ。私はイギリスのRP(標準発音)を選んでいます。その理由は次稿にて。

「耳ができた」しるしは

  • はじめて読む文章でも頭の中のネイティブさんが読み上げてくれる。
  • 息遣いから文の長さの予測がつく。
  • 語り手の感情が感じられる。

日本語でのコミュニケーションでは自然にやっていることですね。昔、留学した人が「しばらくすると急に聞こえるようになった」と言っていた、あの感覚です。今は留学しなくても十分できます。こうなると楽です。というよりこの感覚なしで学ぶほうがよほど無理です。相変わらずあちこちでやっていますけどね。

この状態で脳トポグラフィーを撮ると、言語野に英語担当の中枢を分化しています。因果関係か相関関係かは不明です。ただ、言えるのは「人間は異質なものを受け入れることで仕事効率が上がる」ということです。だって、それまで言語中枢全体で日本語を処理していたのに、半分ずつ日本語、英語にわかれても難なく同じかそれ以上の処理ができるのですから。

気をつけるのは、同時に文字を読まないこと。内容が気になるなら事前に読んでおいてください。現代人は目ばかり頼りにする傾向があるので、耳が負けてしまいます。

今までのレッスンではひと月400分、3か月で20時間。これではいつまでも感覚は変わらないと思いますよ。

自分と向き合って、毎日少しずつ積み重ねたことだけが身につく。レッスンは発表の場として利用しましょう。

楽器のレッスンを考えてみて。うまくならないからって家で練習せずに先生のところに通う回数を増やしますか?それを歓迎する先生はなかなか腹黒ですなあ。さて、英語の世界はどうでしょう。

なに?!自習はやっぱり無理?通勤やお風呂の時間を使いたくない?

じゃあ、話せるようになるためにお金と時間を両方使うより、プロの通翻訳者にお金だけ使って時間を買い戻すことをおすすめします。餅は餅屋。いまはみんなが英語餅屋になろうとしてる。正直、もったいないと思ってます。

【お知らせ】
それでもやりたいという方に、上のセオリーを実践するシステムをまもなくご案内いたします。お知らせご希望の方はこちらからどうぞ。来年春にはイギリスのストーリーテリングフェスティバルに一緒に参加しましょうよ。

 

ビジネス用語はまるで宣教師みたいだけど…

「御社のミッションは…」
「社長は明確なビジョンを…」
「オムニのエバンジェリストの○○さんは…」

あら!ビジネスにはミッションスクールみたいな言葉が沢山。確かに宣教師は洗練されたマーケターとセールス集団。戦争、大量生産・消費を経てモノ余りの今日、生き残ったホンモノどうしが頂で出会うってこういう感じかしら…

とは思ったものの、微妙な違いが気になりました。これには理由がありそう(あるんです!)。

たとえば、キリスト教ではおなじみなのに、ビジネスマンの口からは出てこない言葉があります。

それはcalling, vocation。コーリング、召命と言います。神様の呼び声のことです。これを聞かなかったふりしてトンずらしてえらい目にあったのが、あの魚に呑まれたヨナです。
こんなふうに始まります。

主の言葉がアミッタイの子ヨナに臨んでいった、「立って、あの大きな町ニネベに行き…」(ヨナ書1章1節 1955年口語訳)
Now the word of the Lord came unto Jonah the son of Amittai saying, Arise, go to Nineveh that great city, and….(King James Version 欽定訳)

bibelwissenschaft.deより

ヨナはは偏屈で一緒に呑みに行きたくないタイプです。でもこの話は面白い。くわしくは旧約聖書のヨナ書をどうぞ。

コーリングに応えて「遣わされる」のがミッション。ラテン語mittere「ある務めを担って遣わされる」が語源。「遣わす」声の主、大いなる存在は別にいるという感覚です。

え、そんなことビジネスに関係ない?もっと主体的でないと?キリスト教の知識なんかいらない?そりゃそうかもしれません。でもそう思う前提、価値観も何らかの方向性を帯びているのですよ。その方向づけの正体がこのごろ見えてきましてね。次回はビジョンvisionをとりあげます。

どれだけ「当たり前」を疑えるかが精神の自由を左右すると私は思うのですよ。

 

 

著者の頭の中の風景が蘇る翻訳のコツ

―さて、こないだの翻訳、これが気に入らなかったのでしょ?

This textbook of internal medicine is aimed at colleagues, medical students and other therapeutic professionals, who, like the author himself, are looking for a healing art with an understanding of man’s body, soul and mind. Presently medical practice is dominated by a pathophysiologically oriented understanding of disease, in which the essence of sick people is not captured.

この内科学のテキストは著者と同じように人間の身体、心、精神の理解を伴う治癒のわざを探している同僚、医学生、諸療法のプロをねらっている。今日の医療実践は、病むひとびとの本質は捉えられていない、病態生理学寄りの疾病理解に支配されている。

一見よくある訳文だけれど…。イメージの順番を不必要に入れ替えていたから、話の順序が変わって頭がこんがらがった。で、どうなった?

日々の積み重ねのみが身につく。

この内科学テキストの対象は、同僚、医学生、療法士、なかでも著者と同じように人間の身体、心、精神の理解を伴う治癒のわざを探し求める方々である。今日の医療実践で優勢なのは病態生理学寄りの疾病理解であり、病む人々の存在の本質は捉えられていない。

―あら、ずいぶん順番入れ替えが減ったのね。気になるところはある?

「療法士、なかでも…のところが、関係詞が限定用法ぽくなってしまって…」

―なかでも、をダッシュにするのも、最近はOKみたい。編集者さんと相談した方がいいと思うけれど。

―書き換えて気づいたことは?

「1文目の終わりにan understanding of man’s body, soul and mindが来ていて、次の文のpathophysiollogically oriented understanding of diseaseとコントラストになっている感じがしました。presentlyの前に“ところが”のニュアンスを感じます。著者がこれはまずいんじゃない?と思っている、そんな気持ちを感じました。」

―そう。人が何かを表現するとき、心が動いていないことなんてめったにない。文章の用向きによってはそれをあからさまに安易に表現するのがはばかられる場合もある。そういうときは文体、レトリック、語順の構造にしのばせる。そして自分の頭の中にある風景がちゃんと蘇るように仕込む。このたった2文で著者が一番気にしているのはなんのことだと思う?

「2文の最後の『患者さんの存在そのものの本質が置いてきぼりになっている』でしょうか」

―私もそう思う。たった2文だから大したことないようだけれど、これが1200ページ積もったらどうなるか…だいぶ読みやすさに差がつくでしょう?

気をつけることはシンプルです。まず構造の通りに読む。返り読み英文和訳で内容を確かめるという人もいるけれど、必ずもとの構造に戻ること。

ご参考までにもとのドイツ語を。構造的には英語といっしょ。もう英独蘭語なんて群馬、栃木、茨城弁みたいなものです。フランス?あれは青森。日本はミニチュアヨーロッパ。

Dieses Lehrbuh der Inneren Medizin wendet sich an Kolleginnen und Kollegen, an Studierende der Medizin und Interessierte der anderen therapeutischen Berufsgruppen, die -wie der Autor selbst- nach einer Heilkunst mit einem leiblich-seelich-geistigen Menschenverstaendnis suchen. Gegenwaertig dominiert im aerztlichen Alltag ein patholophysiologisch orientiertes Krankheitsverstaendnis, in dem das Wesen des erkrankten Menschen nicht vorkommt.

 

途方もない翻訳を、福島の若い人たちと一緒に完成したい

あなたはどう仕事を決めるの?

小さい頃から憧れていた?よかったね。

なりゆき?家族のため?それもアリだよ。

私?

それが不思議で…振り返れば誰かに導かれていたと思うことばかり。

大方のひとが将来の仕事を決める学生の頃、私はまさか自分が通訳になるとは思っていなかった。当時の通訳は、まあ今でも大方のイメージだけど、才気煥発の女性がブースでヘッドフォンかぶって通訳独特の口調で…。で、通訳でなければ会えないようなすごい人に出会えたって喜んでいて…なんだそりゃ、あなたはすごくないの?みっともない。私には関係ないと思っていた。

でも、就職カタログにあるほかのどの仕事も私の心に響かなかった。すでにカタログに載っている仕事の中に私がやるべきことはない…と思った。

まだ湯気みたいな形ないものを、形にする役目なのかな?そんな気がしていた。

そのころ私が夢中だったのは、言葉の世界をひもとくこと。17世紀の英詩の、一見わけわからない言葉の羅列を丁寧にひらいていくことで、驚くような映画が心に生まれる。それが面白くて1日何時間Oxford English Dictionaryの前で過ごしたことか。言葉という不思議な世界といつも共にいたいと願っていた。一生辞書の前でも幸せだった。

それからいろいろな山谷があって…!!!

なんと今は通訳になって、通訳を教えている。
「こんなに四角くも丸くもない通訳ってできるんだ」
「なんだかこんなのは初めて聞いたけど、これが本来の通訳。」
そんなふうに言ってもらうたびに嬉しい。

そしてびっくりした。25年ぶりに相馬にゆかりの深い恩師、齋藤和明先生による「楽園失われて」。なんと、いまの私の通訳の軸、従来の通訳養成には見当たらない軸がすでにここにあったのです!

日本では「失楽園」として知られるミルトンのParadise Lost。でも先生は「楽園失われて」とイメージの順のまま。学生時代は、先生の訳はのんびりして先生らしいけれど、なんだかおかしいなあ、と思ったくらい。イメージの順を狂わせることがどれほど情報を、映像をゆがめるか、痛感したのはずっとあと。世の通訳、翻訳にふれておやおやまあまあと思ってからのこと。

改めて読むと「音声を文法(カメラ設定)に基づいてイメージに置き換える」「イメージの順を最大限守って訳す」そのもの。

Of man’s first disobedience, and the fruit

Of that forbidden tree, whose mortal taste

Brought death into the world, and all our woe,

With loss of Eden till one greater man

Restore us and regain the blissful seat,

Sing heavenly Muse that on the secret top Of Oreb, or of Sinai didst inspire

That shepherd, who first taught the chosen seed,

In the beginning how the heavens and earth

Rose out of chaos:

 

 

どうか、ひとの初めての服従拒絶の心について、あの果実について

戒められたあの木の過日味わう静べきものの、致死の、行為が

この世に資、そして我らの苦しみ悲しみのすべてをもたらし、

イーデンをも失わせ、だがうあがて一人の大いなるひと、われらを

かつてのわれらに再生させ、この上ない喜びの座を再獲得するが、

歌ってくれ、どうか、これらのことについて、天の詩神よ。あなたは

孤高の山ホウレブ、またはサーイナイの頂で、むかし

あの羊飼いに霊感を吹き込んだ方。その羊飼いとは

選ばれた種族に、始めに天と地、いかに混沌より現れ出でたかを

初めて教えたそのひとだが…

(ミルトン「楽園失われて」巻一、巻二 齋藤和明訳 国際基督教大学学報 人文科学研究より

和明先生のたまわく。

この詩の詩調は、英詩の英雄詩体である。脚韻は用いていない。…中略…実は、われわれの英語で書かれた最もよい悲劇作品も、以前から脚韻を使っていない。脚韻そのものは、それだけでは、明敏な耳すべてにとって、瑣細なものであり、真の音楽性がもたらす喜びを生まないものだからでさる。音楽性からの喜びは、ふさわしい音調、しかるべき長さの音節、そしてそこに込められている意味が、一行から次の一行へと、それも一様にではなく、引きつがれ伸び広がってうくことに存在するので、それ以外にはない。行の末尾が同じ音を反復させることに存在するものでは決してない。…中略…それゆえ脚韻をここで採用しなかったことは欠陥とみなされるべきではない。むろん低俗な読者には、そう見ててもしかたないが。これはむしろ、あのわずらわしい、現代詩が受けている束縛、つまり脚韻からの自由、英雄詩のために回復された自由の例として、かつて古代には確かにあった自由の例として、しかも英詩の場合では最初の一例として受け取られ評価されるべきものなのである。」

なんだ、私はサイマルやNHKの先を一人で走っているつもりだったけれど、ずっと前に出会っていたんだ。

困ったことに和明先生は12巻中、6巻以降の訳を残してご帰天。

途方もないことを想っています。和明先生の心のふるさとは相馬。和明先生の恩師斉藤勇先生のふるさとは福島。だから私は福島に学恩があります。福島の若い人たちとこの続きをやりたい。これは途方もないこと。歴史、宗教、語法…通翻訳技術…一気にとりくむことになる。

でもね、こういうことのほうが、明日役に立って明後日だめになるようなことに血道を上げるより、よっぽど力になるんですよ。あとに残せるんですよ。

福島の人たちは「までい」な仕事をする。その「までい」さを活かして、売ってもなくならないもの=通訳、翻訳を売る道もあるよ、と若い人たちに伝えたい。

というわけで、言葉の世界に魅了されながら、現行のカタログに満足がいかない福島の若い人に会いたいです!Oxford English Dictionaryのある図書館で逢いましょう!どこかな?

ぜんぶで30巻あまり…

私が日常英会話を教えない理由-パン屑欲しけりゃパンを焼け

「冠木さんみたいに英語を話せるようになりたい!日常英会話教えて!」

ごめんなさい。お断りしています。「日常英会話」を練習しても決して私のようにはなりません。

パンくず皆さんが「日常英会話」とお呼びになる部分はパン屑みたいなもの。小麦と、水と、イーストと、バターをそろえて、生地をこねて、ねかせて、焼いたパンがあってはじめて、屑が出る。

屑は作ろうとして作るものじゃない。パンを作ろうとしたときに屑がおのずとできる。

NHKの「鶴瓶の家族に乾杯!」を思い浮かべてください。あれこそ香ばしいパン屑の山です。決して政治や経済の議論は出てこない。おばあちゃんの手料理や、おじいちゃんが50年漁師やってたとか、高校生が仲間とおやつ食べながら中間テストの勉強するとか…日常会話そのもの。でもその不可測さは無限。いわゆる場面別日本語会話フレーズ集ではとても対応できない。よほど回転の速いユーモアセンスのある人なら、まるで別の場面のフレーズを応用して破天荒な会話ができるかもしれないけれど。

場面別フレーズを覚えるのが悪いというわけではありません。それは必要条件であって、十分条件ではありません。そこで満足していると使える英語に自分が使われる。

じゃあどうする?

ひとつのストーリーを、頭を映画館にしながらまるまる自分のものにすることです。とはいっても多くの方は「どうやって?」と思われることでしょう。放っておいてもひとりで物語スイスイ覚えるなんて変人、物好き、偏執狂 just like me。

そこでイギリスのストーリーテラー、ニックとエミリーの語りをもとに、自然に自分と向き合える仕組みを作りました。まもなくご案内します。

気がついたら英語ストーリーテラーになれていますよ。一緒にイギリスのストーリーテリングフェスティバルに行きましょう!きっと日常英会話なんて自転車に乗るみたいに自動化されているはずですよ。

お知らせご希望の方は以下のフォームにご記入ください。準備整い次第ご案内さしあげます。

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違いはなに?通訳プロ・アマの正確さ、聴きやすさ

「冠木さんはスピーカーの言ったキーワードはきっちり訳してる。でも単語を単語に置き換える通訳者とは別格の聴きやすさ。 何が違うんだろう??」

―たぶん、私しかやっていないのはノンバーバル情報の活かし方。

「それって冠木さんだからできるのでは?」

―いえいえ、そんなことないですよ。個人のセンスだのみじゃありません。写真、音楽…理詰めです。ステップもあります。まあ、練習しなけりゃお話にならないけどね。

ノンバーバル情報の主な要素はひとまず2つ。ひとつは文法。もうひとつは音声。

文法パーツはカメラの設定指示みたいなもの。絞り(ボケぐあい)、レンズの長さ(どのくらい周囲を入れるか)、露出(明るさ、ムード)が読み取れる。

秋明菊が写っているという共通点はあるけれど…絵が違います!

たとえば”My father is working for a bank.”と”My father works for a bank.”
前後の文脈なしでも気配の違いが感じられますか?

東北新幹線下り、仙台到着前の車内放送は”We will shortly be arriving at Sendai.”
in Sendaiだったら気持ち悪い、という感覚がありますか?

このあたり等閑だと同じものが写っていても写り方が違う写真になる。ピンぼけ手ぶれ写真が紙芝居みたいに重なると、間違っていないけれどわかりにくくなる。中高の英文和訳もしくはそれに毛が生えたような単語置き換え通訳によくある失敗。

さて、ふたつめの要素、音声は文字を超える情報を担う。同じ「おはよう」でも人によって、気分によって調子が違うでしょ?そこまで聴いて。ちゃんと聴けば声のメロディは記憶に残る。それを不自然でない程度にこだまする。そうすると声のカノンになる。話し手がモーツアルトなら通訳者もモーツアルト。これなら聴いていて楽。話し手がモーツアルトなのに通訳者がブラームスではおかしい。すべきことをせず勝手なことをしている。

この二人の音楽が8小節ずつ交互に聞こえるなんて…

さて、これら2つの要素も日本語がいまひとつでは台無し。そのことは次稿にて。

講座の質を最後に決めるのは通訳者です。海外講師を迎えたのに「英語ができる身内」に通訳を頼んでいませんか。英語ができるのと通訳できるのは別のことです。頼まれた方も気の毒、せっかくの準備ももったいない。

道場生のインターンとして無料通訳派遣も承ります。ご相談ください。

 

theが「ザ」や「ジ」になる理由

「theの発音が変わる理由がわかりません」

ありがとうございます!こういうの大好き。理由があることを前提にしていらっしゃる。「ある」を前提にすると調べたい、知りたいという気になるものです。

日本でも律儀に使い分けています(笑)。
「ジ・アトリウム舞浜」
「ジ・アーバネックス芦屋」
「ザ・ドリフターズ」
「ザ・ピーナッツ」

なんでしょうね…実は場所はジで芸能人はザ?…そりゃいいですね。

学校では「ザを後ろが母音のときはジに変える」と習ったけれど…でも、これだと「なぜ」を説明しにくい。なんだかしっくりこない。

考え方がさかさまだからです。

aanのときもそうでしたね。aにわざわざnをつけるのではなく、anからnが落ちたものと残ったものがあった。後ろが母音だと落ちずに残った。後ろが母音だと古い形が残りやすい、といえます。

先に結論を言いますと、今回もそうです。後ろの単語が母音始まりのほうが方が前にいるtheも昔からの発音が残ってのんびりできました。後ろに子音が控えているとさっさとおしまい!になるのです。

ここでくせものがカタカナ表記。ザ、ジと書くとア段とイ段の違いだけで同格な母音を持っていると思うでしょう?わけもなく段を行き来しているようでしょう?でも英語では、ジ[i:]が天ぷらだとしたらザについている[ə]なんて天かすみたいなもの。

せめて「ジー・アトリウム」と書いてほしいもんです。書かないか。

ときどき次の語頭が子音でものんびりジーという人がいますが、間違いというより先祖返りです。

お急ぎの方はここまで。ここからは今の話をアカデミックにおさらい。


大切なのは時間の中での言語の変化を知り、楽器としての身体をベースに観察することです。後者が独りよがりにならないためには、耳ができていること。

さて、現在のtheのご先祖様はse, seo, þæt。いっぱいいますね。昔、英語の名詞は男性・女性・中性と分かれていたので冠詞もそれぞれに(上の順どおり)あったのです。þaは複数形。

オクスフォード大のオンライン語源辞典(画像をクリックすると辞典に飛べます)

「なぜ」と思ったときの強い味方です。

この冠詞の発音、前述のとおり今のtheよりずっと母音をしっかり発音していました。無理やりカタカナにするとseセ~, seoセーオ, þæt セア~ット(thatのテンテン無し版)。発音が聴ける面白い動画をご紹介します。

英語が苦手だという方のお話を伺ってみると、英語そのものが嫌いではなくて勉強がつまらなかったということがしばしばです。学校で「理由はない。そういうものだからまず覚えろ」と言われて何かがぷつりと切れてしまった、あとは仕方なく最低限でやってきた、と口を揃えます。 (Progress in Englishシリーズは中3で英語史がちゃんと出てきますから「なぜ?なぜ?」と問いまくれる。)

先生がご存知なかったとしても「自分たちで調べてごらん。発表の機会をつくるから」でよいではないですか。半端な物知りよりよほどよいです、自戒をこめて。

さて、大人にふさわしいを品格ある英語が身につく会員制教材、まもなく発表します。通訳道場★横浜CATSでも活用してる最強の学習ツールとセットです。会員限定国内外イベントもお楽しみに。ご関心おありの方はこちらからご連絡先をお知らせください。ご案内さしあげます。

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母音の前はaをanにする、のウソ

appleは出だしが母音だからnを足してanにする…本当にそう思っているの?じゃあなぜだと思う?どのくらい納得している?

納得していないのにこういう疑似ルール丸のみしていると、頭が断片化(fragmentation)しちゃう。デフラグしよう。

あのねえ、母音の前はnを足す、っていうのは考え方が逆さまなの。

考えても見てごらん。aってどういう意味?「1」でしょ。「a」単体でそんな意味ある?

aはoneの残骸なのよ。oneがめんどくさくなってanになってとうとうaになった。でも後ろが母音の時はくっつけて発音すると言いやすいから断捨離されずにnが残った。

試してごらん。a apple とan apple。nがないと喉がつっかえるでしょ?

じゃあ子音始まり。a deskとan desk。nがじゃまでしょ?

先生の説明や頭で覚えることより大事なことがある。自分で言ってみて、自分のノド、口、耳で確かめる。ルールを仮定する。試して抽象度を上げる。

ほかの言語を学ぶのもおすすめ。ドイツ語やフランス語はein, unと「1」に近い形がちゃんと残ってる。

英語がわざわざ後から何かを足す、ということはめったにありません。

通訳者は膨大な情報を処理します。疑似ルールを見抜く地頭力を味方につけましょう。

 

「英語はスペリングと発音が違いすぎます!」そうかな?

「英語ってなんでスペリングと発音が違いすぎます!」

―あー、中高生も必ずそれ言うけれど、あなたもそう思うのね。たとえば?

「こんなの見つけました。 “A rough-coated, dough-faced, thoughtful ploughman strode through the streets of Scarborough; after falling into a slough, he coughed and hiccoughed.” ghの発音、いろいろありすぎです!発音どころかthrouGHなんて黙り込んじゃってお化けです。」

―お化け、いいねえ。イギリスはお化けだらけ。

実はね、みんなが思う以上に実はスペリングの通りに読んでいるんじゃないか、と思ってる。アメリカではCoke “Lite”って普通でしょ?でもイギリスでは眉を顰める人が何人もいてね。アメリカ式が嫌いというわけじゃないの。何となく気持ち悪いんだって。

で、ウェールズの友人とウェールズ語のこと色々話していたときにヒント発見。あ、ウェールズ語はね、一見つづりが奇天烈だけれど古い言語の特徴が残っていて、子音にも母音のやわらかさが残っている言語。で、ウェールズ語の「ありがとう」は”diolch”ディオッホみたいな音。

ウェールズ、スノードニアにて、2011年

私が「あら、Lはどこいっちゃったの?発音しないの?」と尋ねると、友人はなぜか天井をにらんで何度かdiolch, diolch, diolchと繰り返し…「ちゃんと言ってるわよ」と。

耳を澄ますと…あ!言ってる。音にはなっていないけれど息で言っている!声になる前に消えてしまっているけれど、確かに息で言っている。

そう思ってlightを聴いてみると…ghのタイミングで確かに息のかけらが聞こえる!息だけでghをひっかけてるような。liteだと、iのところはべたっと母音のみ。日本人発音によくあるけど、なんだか「らしくない」。

そうやって息に耳をすませてみるとbeautiful だってbūtifulとは違ってる。

そんなこと辞書に書いてない?そりゃ無理もない。あれは発「音」記号なので「息」は書いていない。でも人の声には「音と息」がある。

息なんか聞こえない?

確かにいきなりでは無理。でも慣れれば聞こえてくる。自分でも言えるようになる。自然になる。

同じヴァイオリンの曲を聴いても、弓の返しが聴いてわかるひとと、そうでないひとがいる。ひたすら聴いて、自分でもひたすら弾くと、弓の返しが呼吸のように聞こえてくる。

ひたすら聴き、ひたすら弾けばいい。

あなたの英語も同じこと。自分で夢中になれる題材を選んでやってみたら。

このコの響きを聞いたとき、私だ!と感じました。

ふと気になるのが日本語の音。平安時代から表記と発音はずれていた、と聞いたことがあるけれど、どうやって調べたのかしら。

「たまふ」と「たもう」は口、息のしぐさが違うのでは。(おお、英語でもautumnってある。)

わかりやすさを優先するあまり、もともとあったものがないことにされているのでは…
面倒くさがって昔の音質よくないCDみたいなものを歓迎しているのでは…
それが私たちの言葉への感覚、耳と頭をなまらせているのでは…

お化けと一緒にちょっと心配してる。

 

 

 

 

 

中韓の人名読み方のナゼ?-通訳者の楽しみ

キム・ジョンナム氏を巡ってなんともいえないニュースが続いています。

ところで中国、韓国に関するニュースを見ていて、あれ?と思うことはありませんか。

金正男氏はキンショウナンさんでもキンマサオさんでもなくキムジョンナムさん。でも習近平氏はXi Jimpingシー・ジンピンさんではなくて「しゅうきんぺい」さん。 

韓国・朝鮮の人名は現地読み、中国の人名は放送国日本の音読み。

これは偶然や習慣ではなくて、ちゃんと中国、韓国と「相互主義」にもとづいて取り決めてあるのです。NHKの通訳学校でそう習いました。

相互主義とはお互いに現地読みなら現地読み、放送国読みなら放送国読みにそろえよう、とう方針。

ですから、放送国読みを互いに実践する中国CCTVなら私の名前は「クワンムー・ヨウチーヅー」、現地読みの韓国KBSでは「カブキユキコ」です。

このことはNHKの放送ガイドラインの14ページに明記してあります。通訳に関心のある方は辞書的に参照することをおすすめします。

背景としてはいくつかの事情があるようで…とある韓国の方が自分の名前をメディアで日本読みされたのに不服を申し立てた…在日韓国人の方たちの団体が現地読みの要望を申し入れた…などなど。

中国の人名は、孔子、関羽、劉邦など日本の音読みで長く親しんできたので、いきなりコンツィー、グアンユー、リウバンはカッコいいけど大変。確かに、かえって混乱するでしょう。

さて、通訳者にとって手ごわいのはどちら?

横浜中華街は春節。中国語の音があふれています。

もちろん中国です。習近平氏をShoe Kim Payなんて発音しても「????」。ですから登場人物が加わるたびにアルファベット表記と発音チェックが欠かせません。調べ方は簡単。検索エンジンの翻訳サイトで確認できます。20年前じゃ考えられません。

実はこれが結構楽しいのです。どういうわけか、中国の彩り豊かな音を聴くと、ああ、この漢字は本当はそう発音してほしいのでは、と感じます。漢字の絵姿の迫力が倍加して見えます。漢字圏ならではの楽しみです。

アルファベット圏では孔子をConfuciusなんて書くんだから、だいぶ雰囲気が変わってしまう… 

先日、英語で書かれた本の翻訳で、孔子の引用に珍事発見。英文から訳したうえで「コンフューシャス」と書いてあるのです。辞書を引けば孔子と出ているでしょうに。わざと?たぶん違うね。 

通翻訳者は語学屋さんではありません。学習、検索上手の博覧強記であれ。

ご参考までに

  • 胡錦涛  Hu Jintao
  • 温家宝 Wen Jiaobo
  • 毛沢東 Mao Zedong
  • 周恩来 Zhou en-Lai

いよいよ2期始まります。