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仕事の英語がもう少しできたらいいのに、という方に

「仕事でもう少し英語ができたほうがいいと思って、スクールを150分週2回に増やしたんですが、どうも…」
―レッスンとレッスンの間の自習は…?
「いえ…忙しくてとてもとても。」
―じゃあ、英語を話すとき頭の中で英作文してるでしょ。
「はい。」

それだと半永久的に今のレベルでしょうね。目的が読む、書く、話すのどれであれ、まず「頭の中で英作文」レベルを脱しましょう。

そのためには「英語の耳」をつくること。

「耳ができている」とは英語という音楽のリズム、ビート、メロディーラインを獲得していること。これを抜かして話す練習をしても聴き手に負担をかける品性の劣る話し方になるばかりです。

耳をつくるためには3か月くらいのうちに100時間、ネイティブが自然に話している音声を聴くこと。週末を抜かして平日190分くらいでしょうか。

このシリーズ、価格の10倍の価値を認めます!

おすすめは朝日出版の100万語聴破シリーズ。たった1300円足らずで自然な語りの音声(音読=文字読み上げ、ではない)、対訳テキストがついています。英語と米語は音楽的には別の言語ですから、どちらか決めるといいですよ。私はイギリスのRP(標準発音)を選んでいます。その理由は次稿にて。

「耳ができた」しるしは

  • はじめて読む文章でも頭の中のネイティブさんが読み上げてくれる。
  • 息遣いから文の長さの予測がつく。
  • 語り手の感情が感じられる。

日本語でのコミュニケーションでは自然にやっていることですね。昔、留学した人が「しばらくすると急に聞こえるようになった」と言っていた、あの感覚です。今は留学しなくても十分できます。こうなると楽です。というよりこの感覚なしで学ぶほうがよほど無理です。相変わらずあちこちでやっていますけどね。

この状態で脳トポグラフィーを撮ると、言語野に英語担当の中枢を分化しています。因果関係か相関関係かは不明です。ただ、言えるのは「人間は異質なものを受け入れることで仕事効率が上がる」ということです。だって、それまで言語中枢全体で日本語を処理していたのに、半分ずつ日本語、英語にわかれても難なく同じかそれ以上の処理ができるのですから。

気をつけるのは、同時に文字を読まないこと。内容が気になるなら事前に読んでおいてください。現代人は目ばかり頼りにする傾向があるので、耳が負けてしまいます。

今までのレッスンではひと月400分、3か月で20時間。これではいつまでも感覚は変わらないと思いますよ。

自分と向き合って、毎日少しずつ積み重ねたことだけが身につく。レッスンは発表の場として利用しましょう。

楽器のレッスンを考えてみて。うまくならないからって家で練習せずに先生のところに通う回数を増やしますか?それを歓迎する先生はなかなか腹黒ですなあ。さて、英語の世界はどうでしょう。

なに?!自習はやっぱり無理?通勤やお風呂の時間を使いたくない?

じゃあ、話せるようになるためにお金と時間を両方使うより、プロの通翻訳者にお金だけ使って時間を買い戻すことをおすすめします。餅は餅屋。いまはみんなが英語餅屋になろうとしてる。正直、もったいないと思ってます。

【お知らせ】
それでもやりたいという方に、上のセオリーを実践するシステムをまもなくご案内いたします。お知らせご希望の方はこちらからどうぞ。来年春にはイギリスのストーリーテリングフェスティバルに一緒に参加しましょうよ。

 

日本のビジネスと米国の反知性主義と

ここのところミッションだ、ビジョンだ、と書いています。でも、ビジネスマンもキリスト教で言葉の由来をちゃんと勉強しましょうね、なーんてちーっとも思っちゃちゃおりません!!

知りたかったことはたったひとつ。

日本語でビジネスの話をしていると、キリスト教っぽいカタカナがどんどん出てくる。そりゃ仕事と生きることを真剣に考えるのは大事。でもすごいスピードで無邪気に心の領域に踏み込んでくる人がやたら多い。なんなんだ、それ。だいたい「あなたはお金に関するメンタルブロックを解除しなくちゃね」のような言い方をする。自分が相手を誤解しているのでは、という疑いの余地はどうもあまりないらしい。もちろんカチンと来る。それこそMind your own business.

でも個人どうしの性格、相性の問題ではない匂いがしていました。だって皆さん、ものの言い方があまりに似ている。

だからもっと大きな社会的、歴史的背景がある気がしてならなかったのです。その手掛かりが得られれば個人どうしの問題にしなくてすむ。

あれ?そういえばヨーロッパの人たちはそんなこと言わないなあ…むむむ、やっぱり。

この本を読んでわけがわかりました。お久しぶり、森本先生、これ面白かった!帯は大げさで外れだと思いますけどね。

ICU副学長の森本Henry先生の近著。

反知性主義といっても決しておバカでよいなどという意味ではありません。

確かにこの頃日本では反知性主義という言葉を「まともに考えない。知的でない」というニュアンスで使うことがあります。でもアメリカではちょっと違います。anti intellectualismはインテリと権力の癒着への抵抗をあらわします。まったくもってごもっとも。

ここでインテリというのは科学者や哲学者ではなく教会制度に属する牧師のこと。ヨーロッパで教会は政治権力と結びついて、国費、税金で支えられていました。いいご身分だけれど仲間入りするにはインテリでないと。それでいて下々には「この世は辛いもの。あの世で幸せになるには信心を」と教えていたのですからたいしたもんだ。坊主丸儲け。

それを疑問視する人たちがアメリカではインテリ「牧師」ではなく「伝道者=エヴァンジェリスト」(巡回セールスマンの原型)として活躍。アメリカの教会はあの世だけじゃなくこの世の幸せにも肯定的。本当は不安だらけの成功者たちの心の支えにもなりました。

大いに結構。ただ…それが高じてアメリカはポジティブ病に(大雑把ですみません)。

実は追いつめられて拒食症になっていた高校生の頃、ノーマン・ピールというアメリカの伝道者の本を読みました。ちょっと励まされた。でもあまりにポジティブ、自分中心で、私は相当参っていたのに、なんじゃこりゃ、冷戦と軍拡の80年代にはもう合わないぞと感じていました。なるほど、第二次大戦が終わってまもなくの著作。ところが21世紀の今でもアメリカには彼の影響を受けた輪をかけてポジティブな自己啓発が山ほど。

下山の思想とか「?」なんでそうね。ご苦労様、自己啓発はきりがないよ。特に最新の脳科学なんて言い出すと。ああ、きりながいからいいのか。私は乗る気がしないなあ、悪しからず。

まあとにかく、アメリカでは教会が政治権力を離れ、ビジネスに近づいた。ビジネスは教会の言葉を借りて心の領域に近づいた。それ自体別に良くも悪くもない、ヨーロッパにはない試みです。その残響を日本のビジネス用語の中に聴いていたようです。

ちょっとすっきり。ちょっとだけどね。

 

ヴィジョンとミッション、そしてパッション

「御社のヴィジョンをお聞かせください。」
「ミッションじゃなくてヴィジョンね。えーと…どっちがどっちだっけ?」
なんてこと、ありませんか?

日本語でこんなふうに説明しているブログを見つけました。なんと日本の名だたる企業のミッションとヴィジョンを20もリストしてもいます。

  • ミッション・・・使命、目的、企業の存在意義。会社がどんな社会を実現するのかをあらわしたもの会社内部に浸透させたい考え方で、企業の判断基準にもなるもの。
  • ビジョン・・・目標、方向性、行動指針。会社が組織としてありたい姿や、ミッションを達成させるための行動指針を示したもの。表向きに会社がどういうものかを示したもの

へえ。わかった?
まあ、慣行としてそういうものならそれはそれでいいのですが…

ミッションもヴィジョンもアメリカンビジネス以前にヨーロッパのキリスト教でたっぷり使われてきた言葉。ちょっとニュアンスが違う気が…

聖書でvisionを検索するとこれでもかというくらい出てきます。特に目立つのはダニエル書。預言者ダニエルがバビロンのネブカデネザル王の夢解きをしたり、カルデアのダリヨス王にライオンと共に洞穴に閉じ込められたり…と現代人の常識頭にはなかなか難しい、でも面白いお話です。

ギュスターブ・ドレの美しい聖書挿画集

And it came to pass, when I, even I Daniel, had seen the vision, and sought for the meaning, then, behold, there stood before me as the appearance of a man. And I heard a man’s voice between the banks of Ulai, which called, and said, Gabriel, make this man to understand the vision. So he came near where I stood: and when he came, I was afraid, and fell upon my face: but he said unto me, Understand, O son of man: for at the time of the end shall be the vision.Daniel 8:15-17 King James Version)

われダニエルはこの幻を見て、その意味を知ろうと求めていた時、見よ、人のように見える者が、わたしの前に立った。わたしはウライ川の両岸の間から人の声が出て、呼ばわるのを聞いた、「ガブリエルよ、この幻をその人に悟らせよ」。すると彼はわたしの立っている所にきた。彼がきたとき、わたしは恐れて、ひれ伏した。しかし、彼はわたしに言った、「人の子よ、悟りなさい。この幻は終りの時にかかわるものです」。(ダニエル書81517節 口語訳)

「vision」の訳が「幻」なんですねえ。幻というと幻視、幻聴、幻覚のようにたちまち消える儚げな絵空事に聞こえませんか?でも「vision」にその儚さはなくラテン語由来で「見たもの」という意味です。

「vision」にはこんな特徴が…

  • 人間が見ようとして見るのではなく、向こうから現れる。
  • 未来を告げる。
  • 理性、論理、経験則による理解を超えている。

なんじゃ、そんなもん役に立たない?

いや、そうとも言えませんよ。私はこんなふうに考えています。「天ではすでに実現しているが地上ではまだで、これから実現されるべきこと」。「天」では抹香臭いという方は「想念」「理想の世界」に置き換えてみてください。

天はあなたを選んでどんな光景、ヴィジョンを見せ、任せているのでしょう?

未来のヴィジョン実現のために行う活動がミッション(前稿のとおり「遣わされる」の意)。南アフリカのハウテン州で精神的外傷を負う子どものケアにあたる団体があります。ここのヴィジョンとミッションがまさにそのとおり。

ヴィジョンの実現にはパッション、心燃やさねばならぬことも教えてくれます。

Vision
Our passion is to ensure the optimal development of traumatised children in need of care.

Mission
From a Christian frame of reference, to care for, develop, empower and reintegrate traumatised children in need of care (as defined by the Children’s Act) and where needed, their families through appropriate care models and therapeutic programmes, to enable them to function independently and to contribute to society.

 

子どもたちのトラウマケアを担うエイブラハム・クリール・チャイルドケア

 

 

ビジネス用語はまるで宣教師みたいだけど…

「御社のミッションは…」
「社長は明確なビジョンを…」
「オムニのエバンジェリストの○○さんは…」

あら!ビジネスにはミッションスクールみたいな言葉が沢山。確かに宣教師は洗練されたマーケターとセールス集団。戦争、大量生産・消費を経てモノ余りの今日、生き残ったホンモノどうしが頂で出会うってこういう感じかしら…

とは思ったものの、微妙な違いが気になりました。これには理由がありそう(あるんです!)。

たとえば、キリスト教ではおなじみなのに、ビジネスマンの口からは出てこない言葉があります。

それはcalling, vocation。コーリング、召命と言います。神様の呼び声のことです。これを聞かなかったふりしてトンずらしてえらい目にあったのが、あの魚に呑まれたヨナです。
こんなふうに始まります。

主の言葉がアミッタイの子ヨナに臨んでいった、「立って、あの大きな町ニネベに行き…」(ヨナ書1章1節 1955年口語訳)
Now the word of the Lord came unto Jonah the son of Amittai saying, Arise, go to Nineveh that great city, and….(King James Version 欽定訳)

bibelwissenschaft.deより

ヨナはは偏屈で一緒に呑みに行きたくないタイプです。でもこの話は面白い。くわしくは旧約聖書のヨナ書をどうぞ。

コーリングに応えて「遣わされる」のがミッション。ラテン語mittere「ある務めを担って遣わされる」が語源。「遣わす」声の主、大いなる存在は別にいるという感覚です。

え、そんなことビジネスに関係ない?もっと主体的でないと?キリスト教の知識なんかいらない?そりゃそうかもしれません。でもそう思う前提、価値観も何らかの方向性を帯びているのですよ。その方向づけの正体がこのごろ見えてきましてね。次回はビジョンvisionをとりあげます。

どれだけ「当たり前」を疑えるかが精神の自由を左右すると私は思うのですよ。