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I love you は「私はあなたを愛しています」?―翻訳をめぐる思い込み退治します

「翻訳頼まれたのだけど大変。」

―おや、また何が?

「英語を読むとわかるんだけど、日本語が出てこなくて。」

ーどれどれ。

This textbook of internal medicine is aimed at colleagues, medical students and other therapeutic professionals, who, like the author himself, are looking for a healing art with an understanding of man’s body, soul and mind. Presently medical practice is dominated by a pathophysiologically oriented understanding of disease, in which the essence of sick people is not captured.

この内科学のテキストは著者と同じように人間の身体、心、精神の理解を伴う治癒のわざを探している同僚、医学生、諸療法のプロをねらっている。今日の医療実践は、病むひとびとの本質は捉えられていない、病態生理学寄りの疾病理解に支配されている。

ははあ。よくあるタイプの訳文。これで通用しているのもいくらでもあるけどね。訳文は読みにくいもの、と世間もあきらめちゃってるみたいだし。

でもあなたは気に入らないのでしょう。そのセンスは大したもの。きっと心の中でちゃんと音読、イメージ変換をやっているのだと思うよ。それでうまくいかないから気持ち悪い。 

あはは。「ねらっている」「支配されている」は辞書依存。ここは自分で考え直して。

私から今回は1点だけ、でも根本的なことを指摘します。

語順入れ替え訳だと…ニアミス、接触、墜落?

英語と日本語は語順が違う、という19世紀みたいな思い込みから自由になって。

I love youを「私はあなたを愛しています」と訳して「おお、日本語と英語は語順が違う」なんて言ってない?

「私はあなたを愛しています」なんて言いますかね。そんなこという人と付き合いたいですかね。こんなこと言われたら「へえ、そうですか。で、それが何か?」って返したくならない?

英語の主語に「は」「が」をつければ日本語の主語になると思ってない?

だいたい日本語と西洋言語では「主語」「述語」の概念が同じではありまでん。また、主語、述語、という概念がちょっと古い。それに学校で習う英文法は英語にとっても無理であるラテン文法の影響も残っている。

言葉もひとももっと自由。言葉の向こうには人がいる。

これは私の感覚なんだけれど…人はインスピレーションを受けてイメージが湧いた順に口を開く。先に思いついたことを後まわしにして、後から思い浮かんだことを先に言うなんて面倒くさいことをするほどひねくれてはいない。

だから「テーマ→謎かけ→答え」「旧情報→新情報」の順で語られること多い。ためしてガッテンだって「はい、テーマです!」って言ってからクイズでしょ?

 I love youをイメージ順どおりに辿ると、loveの花束をぐっとyouに差し出すしぐさが見える。「おれ好きなんだ、お前が。」でいいじゃない。この「お前が」は「が」がついてますけど、主語ですかね?

語順いじりは最低限で。さもないと紙芝居がめちゃくちゃになります。ABC,CDE,EFGと続いていたお話がACB,CED,EGFとなったら…頭が船酔いします。

ただ、別のお話を勝手に造るのは犯罪です。防犯には英語そのものの構造感覚、文法に基づいて語と語の関係を正確無比に把握すること。

では、がんばりたまえ。

本当はね、通訳と翻訳はひとつのことよ。

 

 

途方もない翻訳を、福島の若い人たちと一緒に完成したい

あなたはどう仕事を決めるの?

小さい頃から憧れていた?よかったね。

なりゆき?家族のため?それもアリだよ。

私?

それが不思議で…振り返れば誰かに導かれていたと思うことばかり。

大方のひとが将来の仕事を決める学生の頃、私はまさか自分が通訳になるとは思っていなかった。当時の通訳は、まあ今でも大方のイメージだけど、才気煥発の女性がブースでヘッドフォンかぶって通訳独特の口調で…。で、通訳でなければ会えないようなすごい人に出会えたって喜んでいて…なんだそりゃ、あなたはすごくないの?みっともない。私には関係ないと思っていた。

でも、就職カタログにあるほかのどの仕事も私の心に響かなかった。すでにカタログに載っている仕事の中に私がやるべきことはない…と思った。

まだ湯気みたいな形ないものを、形にする役目なのかな?そんな気がしていた。

そのころ私が夢中だったのは、言葉の世界をひもとくこと。17世紀の英詩の、一見わけわからない言葉の羅列を丁寧にひらいていくことで、驚くような映画が心に生まれる。それが面白くて1日何時間Oxford English Dictionaryの前で過ごしたことか。言葉という不思議な世界といつも共にいたいと願っていた。一生辞書の前でも幸せだった。

それからいろいろな山谷があって…!!!

なんと今は通訳になって、通訳を教えている。
「こんなに四角くも丸くもない通訳ってできるんだ」
「なんだかこんなのは初めて聞いたけど、これが本来の通訳。」
そんなふうに言ってもらうたびに嬉しい。

そしてびっくりした。25年ぶりに相馬にゆかりの深い恩師、齋藤和明先生による「楽園失われて」。なんと、いまの私の通訳の軸、従来の通訳養成には見当たらない軸がすでにここにあったのです!

日本では「失楽園」として知られるミルトンのParadise Lost。でも先生は「楽園失われて」とイメージの順のまま。学生時代は、先生の訳はのんびりして先生らしいけれど、なんだかおかしいなあ、と思ったくらい。イメージの順を狂わせることがどれほど情報を、映像をゆがめるか、痛感したのはずっとあと。世の通訳、翻訳にふれておやおやまあまあと思ってからのこと。

改めて読むと「音声を文法(カメラ設定)に基づいてイメージに置き換える」「イメージの順を最大限守って訳す」そのもの。

Of man’s first disobedience, and the fruit

Of that forbidden tree, whose mortal taste

Brought death into the world, and all our woe,

With loss of Eden till one greater man

Restore us and regain the blissful seat,

Sing heavenly Muse that on the secret top Of Oreb, or of Sinai didst inspire

That shepherd, who first taught the chosen seed,

In the beginning how the heavens and earth

Rose out of chaos:

 

 

どうか、ひとの初めての服従拒絶の心について、あの果実について

戒められたあの木の過日味わう静べきものの、致死の、行為が

この世に資、そして我らの苦しみ悲しみのすべてをもたらし、

イーデンをも失わせ、だがうあがて一人の大いなるひと、われらを

かつてのわれらに再生させ、この上ない喜びの座を再獲得するが、

歌ってくれ、どうか、これらのことについて、天の詩神よ。あなたは

孤高の山ホウレブ、またはサーイナイの頂で、むかし

あの羊飼いに霊感を吹き込んだ方。その羊飼いとは

選ばれた種族に、始めに天と地、いかに混沌より現れ出でたかを

初めて教えたそのひとだが…

(ミルトン「楽園失われて」巻一、巻二 齋藤和明訳 国際基督教大学学報 人文科学研究より

和明先生のたまわく。

この詩の詩調は、英詩の英雄詩体である。脚韻は用いていない。…中略…実は、われわれの英語で書かれた最もよい悲劇作品も、以前から脚韻を使っていない。脚韻そのものは、それだけでは、明敏な耳すべてにとって、瑣細なものであり、真の音楽性がもたらす喜びを生まないものだからでさる。音楽性からの喜びは、ふさわしい音調、しかるべき長さの音節、そしてそこに込められている意味が、一行から次の一行へと、それも一様にではなく、引きつがれ伸び広がってうくことに存在するので、それ以外にはない。行の末尾が同じ音を反復させることに存在するものでは決してない。…中略…それゆえ脚韻をここで採用しなかったことは欠陥とみなされるべきではない。むろん低俗な読者には、そう見ててもしかたないが。これはむしろ、あのわずらわしい、現代詩が受けている束縛、つまり脚韻からの自由、英雄詩のために回復された自由の例として、かつて古代には確かにあった自由の例として、しかも英詩の場合では最初の一例として受け取られ評価されるべきものなのである。」

なんだ、私はサイマルやNHKの先を一人で走っているつもりだったけれど、ずっと前に出会っていたんだ。

困ったことに和明先生は12巻中、6巻以降の訳を残してご帰天。

途方もないことを想っています。和明先生の心のふるさとは相馬。和明先生の恩師斉藤勇先生のふるさとは福島。だから私は福島に学恩があります。福島の若い人たちとこの続きをやりたい。これは途方もないこと。歴史、宗教、語法…通翻訳技術…一気にとりくむことになる。

でもね、こういうことのほうが、明日役に立って明後日だめになるようなことに血道を上げるより、よっぽど力になるんですよ。あとに残せるんですよ。

福島の人たちは「までい」な仕事をする。その「までい」さを活かして、売ってもなくならないもの=通訳、翻訳を売る道もあるよ、と若い人たちに伝えたい。

というわけで、言葉の世界に魅了されながら、現行のカタログに満足がいかない福島の若い人に会いたいです!Oxford English Dictionaryのある図書館で逢いましょう!どこかな?

ぜんぶで30巻あまり…

違いはなに?通訳プロ・アマの正確さ、聴きやすさ

「冠木さんはスピーカーの言ったキーワードはきっちり訳してる。でも単語を単語に置き換える通訳者とは別格の聴きやすさ。 何が違うんだろう??」

―たぶん、私しかやっていないのはノンバーバル情報の活かし方。

「それって冠木さんだからできるのでは?」

―いえいえ、そんなことないですよ。個人のセンスだのみじゃありません。写真、音楽…理詰めです。ステップもあります。まあ、練習しなけりゃお話にならないけどね。

ノンバーバル情報の主な要素はひとまず2つ。ひとつは文法。もうひとつは音声。

文法パーツはカメラの設定指示みたいなもの。絞り(ボケぐあい)、レンズの長さ(どのくらい周囲を入れるか)、露出(明るさ、ムード)が読み取れる。

秋明菊が写っているという共通点はあるけれど…絵が違います!

たとえば”My father is working for a bank.”と”My father works for a bank.”
前後の文脈なしでも気配の違いが感じられますか?

東北新幹線下り、仙台到着前の車内放送は”We will shortly be arriving at Sendai.”
in Sendaiだったら気持ち悪い、という感覚がありますか?

このあたり等閑だと同じものが写っていても写り方が違う写真になる。ピンぼけ手ぶれ写真が紙芝居みたいに重なると、間違っていないけれどわかりにくくなる。中高の英文和訳もしくはそれに毛が生えたような単語置き換え通訳によくある失敗。

さて、ふたつめの要素、音声は文字を超える情報を担う。同じ「おはよう」でも人によって、気分によって調子が違うでしょ?そこまで聴いて。ちゃんと聴けば声のメロディは記憶に残る。それを不自然でない程度にこだまする。そうすると声のカノンになる。話し手がモーツアルトなら通訳者もモーツアルト。これなら聴いていて楽。話し手がモーツアルトなのに通訳者がブラームスではおかしい。すべきことをせず勝手なことをしている。

この二人の音楽が8小節ずつ交互に聞こえるなんて…

さて、これら2つの要素も日本語がいまひとつでは台無し。そのことは次稿にて。

講座の質を最後に決めるのは通訳者です。海外講師を迎えたのに「英語ができる身内」に通訳を頼んでいませんか。英語ができるのと通訳できるのは別のことです。頼まれた方も気の毒、せっかくの準備ももったいない。

道場生のインターンとして無料通訳派遣も承ります。ご相談ください。

 

母音の前はaをanにする、のウソ

appleは出だしが母音だからnを足してanにする…本当にそう思っているの?じゃあなぜだと思う?どのくらい納得している?

納得していないのにこういう疑似ルール丸のみしていると、頭が断片化(fragmentation)しちゃう。デフラグしよう。

あのねえ、母音の前はnを足す、っていうのは考え方が逆さまなの。

考えても見てごらん。aってどういう意味?「1」でしょ。「a」単体でそんな意味ある?

aはoneの残骸なのよ。oneがめんどくさくなってanになってとうとうaになった。でも後ろが母音の時はくっつけて発音すると言いやすいから断捨離されずにnが残った。

試してごらん。a apple とan apple。nがないと喉がつっかえるでしょ?

じゃあ子音始まり。a deskとan desk。nがじゃまでしょ?

先生の説明や頭で覚えることより大事なことがある。自分で言ってみて、自分のノド、口、耳で確かめる。ルールを仮定する。試して抽象度を上げる。

ほかの言語を学ぶのもおすすめ。ドイツ語やフランス語はein, unと「1」に近い形がちゃんと残ってる。

英語がわざわざ後から何かを足す、ということはめったにありません。

通訳者は膨大な情報を処理します。疑似ルールを見抜く地頭力を味方につけましょう。

 

映画「今を生きる」とエイブラハムと…

「先生、これが私の学生生活最後の授業なんです。」

え、責任重大だ。だけどよかった。今日ははなむけにある映画のシーンを用意してきたから。「Dead Poets Society」(邦題:今を生きる)から、iPad air のCMにもなったところ。

そういえば、初めて見たのはこんなふうに大学の先生のおすすめで…28年前!…一世代巡ったのね。今でも見るたびに「私もキーティング先生であろう」と思う。まだまだなのだけど。(ちなみにJohn Keatingという名はJohn Keatsの現在進行形のような気がします)

(以下、著作権侵害の意図はありません。みなさんぜひちゃんと借りるか、買うかしてくださいまし。)

 

 

We don’t read and write poetry
because it’s cute.
We read and write poetry
because we are members of the human race.
And the human race is filled with passion.
Medicine, law, business, engineering,…
These are noble pursuits
and necessary to sustain life.
But poetry, beauty, romance, love…
these are what we stay alive for.
To quote from Whitman;
“O me! O life! of the questions of these recurring,
Of the endless trains of the faithless,
of cities fill’d with the foolish, …
What good amid these,
O me, O life?Answer;
That you are here –
that life exists and identity,
That the powerful play goes on,
and you may contribute a verse.”
“That the powerful play goes on,
and you may contribute a verse.”
What will your verse be?
僕らが詩を読み書くのは
なにもステキだからってわけじゃない
僕らが詩を読み、書くのは
人類の一員だからだ。
そして人類は情熱に満ちている。
医療、法律、ビジネス、エンジニアリング
これらは尊い探究の道で、
命を支えるのに不可欠だ。
しかし詩、美、ロマンス、愛…
これらゆえに僕らは生きている。
ホイットマンを引用しよう
「おおこの私、命よ 問いはこのように繰り返し…
きりもなく列なす信心なき者たち
都会を満たす愚か者ども
なんの意味がこんなものにあるか、
おお、この私、命よ答え
君がここにいるということ ―
生命が、アイデンティティが存在するということ
力あふれる劇は続く。
そして君も一篇のうたを寄せることができる。」
力あふれる劇は続く。
そして君も一篇のうたを寄せることができる。
君はどんなうたを寄せるのか。

で、届いたばかりのジェイ・エイブラハムの「限界はあなたの頭の中にしかない」を行きの電車の中で読んでたら…この映画と響き合うこと。もう驚いた。電車乗り過ごしそうになった。この本にもキーティング先生、ホイットマンの言う「verse うた」があふれている。(キーティング先生はビジネスをnoble pursuitとしているけれど)

この本はお世話になっている方のおすすめで手に取ったもの。翻訳者の島藤真澄さんの取り組みもすごい。エイブラハムの理念をアジアに伝えている島藤さん。東日本大震災を味わった日本の若者を励ましてほしいとエイブラハムに直談判したそう。訳語も丁寧に本人に確認するなど本気の共同作業のエピソードも。売らんかなっぽいビジネス洋書をその辺のビジネスがわからない翻訳作業者に放り投げたものとは次元が違います。ちょっと良しとされる変化の方向がアメリカ的過ぎる気もするのだけれど、それは脇に置いておきます。少々ご紹介。一読おすすめします。

人から興味を持たれたいのなら、まず、人に興味を持ちなさい。
あなたが人から感動されたいのなら、まず相手に感動しなさい。

口先だけの「凄いですね」という言葉では、まったく伝わりません。人に感動を与えたいのなら、相手に生きた質問をする必要があります。お互いの接点について深く理解をすることです。
そういった人との交流から、あなたの価値は作られるのです。
あなたの独自性、才能とは「相手が認めた価値」である、ということを忘れてはなりません。
(62ページ)

時間を売って、しぶしぶ最低限の、クビにならない程度の価値しか想像できない仕事のやり方では、あなたの手元にお金が残ることはないでしょう。あなたは仕事を通して、あなたの職場や、お客様や、あなたと接する人に何かしら価値を届けることで、少しずつ豊かになっていきます。より良い価値を創出することに焦点をあててください。それはすばらしい笑顔で接客することかもしれません。見えない場所もきちんと掃除をし、場の空気まできれいにすることかもしれません。
(85ページ)

では、最後に質問をひとつ。

What will your verse FOR OTHERS be?

さて、こちらの学びは年中無休。

 

 

これじゃ「こなれ」る訳がないー「池上彰の新聞ななめ読み」をヒントに①

みなさん、今日は新聞読みましたか?
朝日では池上彰さんが新聞各社のトランプ大統領就任演説翻訳を比較しています。(朝日新聞 1月28日朝刊)。何回かこれをヒントにしてみます。

「こなれ」ているか「自然」かが池上さんにとってのポイントのよう。読み手の側に立てばごもっともな視点。

でもね、通訳、翻訳を学ぶひとたちの基準としては不十分。

たとえば、レストランでおいしい料理が出てくるのは当たり前でしょ?アマじゃないんだから。プロは素材選びや調理方法、器、インテリアにこだわってお客さんの「おいしい!」の瞬間まで隙なく最善を尽くすでしょ?お客さんは何がどうしておいしいのかわからなくてもいいの。でもシェフが味見して「なんかおいしい」なんて満足してたら、ダメだこりゃ。

順序にも意味がある

池上さんがおっしゃる「こなれていない」≒おいしくない、も原因はいろいろ。素材選び、調理手順…つまづき箇所はさまざまです。

主に採り上げられたのはほぼ出だしのこの部分。
We, the citizens of America, are now joined in a great national effort to rebuild our country and restore its promise for all of our people.

読売新聞の日本語訳は「なんともこなれていない」とご指摘。
―私たち米国市民は今、国を再建し、すべての国民に対する約束を復活させるための偉大で国民的な取り組みに加わっている。―

あらほんと。

どうしてだと思う?

意味のまとまり、イメージごとに番号を振りますよ。
①We, the citizens of America, ②are now joined ③in a great national effort ④to rebuild our country and ⑤restore its promise ⑥for all of our people.

読売では
①私たち米国市民は今、
④国を再建し、
⑥すべての国民に対する
⑤約束を復活させるための
③偉大で国民的な取り組みに
②加わっている。

あれまあ。

フルコースって、前菜→スープ→魚料理→口直しシャーベット→肉料理→デザートでしょ?

それが前菜→口直しシャーベット→デザート→肉料理→魚料理→スープになってしまいました。前半は女子の栄養失調ランチみたいですけどね。

読売訳が「こなれていない」原因は過剰な「番狂わせ」です。

ついでに調べたNHKも似たような感じです。
「私たちアメリカ国民はきょう、アメリカを再建し、国民のための約束を守るための、国家的な努力に加わりました。」
(なぜour countryがアメリカ?citizenもall of our peopleも国民?国家的とはどういう意味?)

どこもこんなレベル?と探してやっと見つけたのは山陽新聞。スタイルを感じます。
「米国の市民はいま、大いなる国家的取り組みに向け協力することになった。国家を再建し、全ての人が希望を取り戻す取り組みだ。」

繰り返しになるけれど、人間はイメージが浮かんだ順に言葉にする。その順序そのものも大事な情報。ひっくり返しは最低限で。そもそも英語と日本語は主語述語の概念が違います。わざわざひっくり返して律儀に「―がーです」なんて骨折り損。

イメージの順を守ると違うお話になってしまう…という人は英語の構造感覚=文法に弱みがあります。おさらいしましょう。

池上さんはrestore its promiseを「約束を守る」と訳した毎日新聞を「こなれています」と評価しておいでです。これには賛成しかねます。ここは私も唸ったところですが。

こなれにも良いこなれ、悪いこなれがあります。

それはまたこの次に。

Keep warm and stay well.

 

「英語と日本語は語順が違う」を疑うー通訳:トランプ大統領就任演説

なんだか芯から冷えますね。がまんしちゃだめよ、通訳者は鼻や喉を大事にね。

みんながそういうもんだと思い込んでわざわざ面倒にしていることなんて山ほど。でも通訳者を目指すならあと3回「なんで」「ほんと?」って考えてごらん。

たとえば 「英語と日本語では語順が違う」。「I love you」が「私はあなたを愛しています」、語順が違う、文化が違うと聞いたことない?

そんなのBullshit.(牛糞ではありません。牛糞はcow dungです)。

だいたい好きな人に「私はあなたを愛しています」って言わないでしょ。それ標準語書き言葉だし。話し言葉の方がよほど自然。「あたし好きなんだ、太郎くんのこと。」いけるでしょう?

人間はイメージが浮かんだ順に話す。通訳は話し手の頭の中のイメージ紙芝居ボックスを聴き手の頭の中に転送する。なるべく紙芝居の順をこわさずに。この転送に人工的な「現代標準語書き言葉」はあまり向いていません。標準語書き言葉で訳そうとすると主語、述語を気にして語順、イメージひっくり返し始める。しかも英語の主語を訳すとき「は」「が」をくっつける。英語と日本語では主語の概念が違います。「は」「が」つければいいものではありません。

だから標準語で訳すときは一工夫。「イメージの順」「深い呼吸」「骨導音発声」を心がけます。トランプ大統領就任演説、始めの3分ほど同通してみました。音声は動画の下のリンクからお聴きいただけます。

【私の通訳音声はこちら】

(YoutubeのABCの動画に勝手に音声かぶせるわけにはいきません。別ファイルとしましたが、背景にトランプさんの声、聞こえると思います。)

ほんとに便利な時代。通訳練習素材には事欠きません。腕が鳴ります!

ご希望の方には通訳道場お申し込みの前にお目にかかってお話伺っています(もちろん無料)。
お気軽にご連絡ください。

 

私が授業でスラングを重視しない理由

Are you nuts?を「あなたたちは木の実ですか?」なんて訳したらあなたがnuts。これ、「あんた気が変?」のような意味。

「え、こういうの面白いです。もっと知りたいです」

うん、気持ちはわかる。使えるとちょっと楽しいしね。でも授業では優先順位高くする予定はないな。

「下品だからですか?」

西洋の小鬼、ガーゴイル。なんだか恐くないですねえ。

西洋の小鬼、ガーゴイル。なんだか恐くないですねえ。

ううん、そうじゃない。通訳ともなればお上品ぶるより言葉の幅を広く持つことはとても大切。ただ、こういうスラングや若い人の言葉は変化が速い。nutsなんて昔からの言い方だけれど、すぐに古くなってしまうものも沢山。アメリカの日本語学校でアメリカ人の先生が一生懸命「ナウい」なんて教えていたら、噴き出しちゃうでしょ。ネットや映画の方が早いんじゃない?

それにね、そういう言葉はぜひ仲間から吸収してほしい。日本語でもそうだったでしょ。お母さんに「どこでそんな言葉づかい覚えたの!」と叱られたのは何とも楽しい悪ガキ仲間の言葉。そうやって大人をびっくりさせるのも楽しかったでしょ?

「悪い」言葉は蜜の味、仲間のパスワードみたいなもの。先生に習うなんて野暮もいいところ。どうぞ、親ごさんや先生の目の届かないところで仲間からごっそり仕入れてください。

息を呑むほど美しいものでなければ模倣するに足らない

息を呑むほど美しいものでなければ模倣するに足らない

さて、先生は何をするかというと…文化遺産のバトンタッチです。何がどんなに一時流行しようがしまいが、これを知ることは過去と未来への「責任」だ、といえることを優先します。

それを受け取った皆さんがどこへ出しても恥ずかしくない人になりますように。
突然エリザベス女王に出会ってもうろたえずにすむような。
そして、よくぞ異郷のことばを敬意をもって学んでくれた、と感動される人になりますように。

今夜(未明)のトランプ氏就任演説、気になります。アメリカ大統領の演説には受け継がれる、こだまし続けるフレーズがある。トランプさん、tweet(さえずる)しないでbark(吠える)ばっかりしているけど、どうなることやら。

 

「冠木さん考えるとき英語?日本語?」

よく訊かれるんです。
「英語で考えたり、寝言を言ったりするんだけど、『こんなもん?』という感じがして…」
その違和感は鋭い。
「え?冠木さんは英語で考えるの?」
NO
「じゃあ日本語?」
NO
「??? やっぱり何も考えてないんだ!」
おっと…その可能性もあるけど…。

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言葉で考えているのってサバイバルモードのとき。過去のやりとりを蒸し返していたり、苦手な相手に会う前に作戦立てていたり。これは考えているというより思い煩っている状態。スピードも遅い。

調子のよいときは言葉で考えていないんです。アタマの中に単語1つ転がっていない。
しいて言えばイメージや音楽のような「感じ」が瞬間的に顕れる。それが話し相手によって日本語で出てきたり、英語で出てきたり。自分でも「あれまあ、日本語だよ」「おやまあ英語だよ」と他人事のように聞いている。(今年はそこにフランス語が加わるのだ!)
自転車に乗るのと似ている感覚です。「右折するからペダルをゆるめてスピード落として、右手を引いてハンドルを傾けるぞ」なんて意識しません。すべて自動化されて自然です。
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「自動化=自分と一つになっている」動きは自然で美しいでしょう?
もちろん始めから自動化、一体化しているわけではありあせん。まず徹底的に意識、セルフモニターして繰り返す。いちいち考えながら自転車を漕ぐように。
同じことをぼけっと繰り返すのではありません。毎回微調整します。したくなるんです。
考えたり、寝言を言ったりするのに英語が出てくるのを喜んでいるようでは一体化が未完成です。
ところがこのレベルでもTOEICでは結構な点が取れてしまう。で、現場で困る。アタマの中で英作文なんかしていたら仕事になるわけがない。
きちんと一体化するにはまとまりのあるインプットが必要。ストーリーをまるごと正確に暗誦するのがおすすめです。聴く(+読む)+話すを全部やる。会話の場数増やしてもダメです。
大変そう?

そうね、やらない限りいつまでも大変そうに見えるでしょうね。でもやってみると意外や意外、雑念が消えて童心に帰るような心地がするもの。そして通訳も美しくなる。

Grasp the nettle.

あなたも何か「自分とひとつ」になるまで取り組んだものがあるでしょう?時間を忘れて夢中になったことがあるでしょう?ピアノ?サッカー?

まずその感覚を信じて下さいね。ご自分の物差しを大事にしてくださいね。

それやってみたい!仲間がいればなお心強い!という方をお待ちしています。

 

ロールスロイスをくじ引きに?

なんだかこれも学術的には出典の突き止められない話なんだけど、応用はできるでしょ。

バチカンにロールスロイス1台ご進呈伺いが届いたマザー・テレサ。
どうしたと思う?mother_teresa11

①まあ、なんてこと、腐った富の象徴!拒絶!
②あら、それ高いんでしょ。中古車やさんに売りましょう!
③くびじびきにすんべ。

正解:③

車の市場価格の数倍の売り上げを得て、福祉に用いたそうな。

宝くじに当たる確率は買っていても上がらない。あれに似たものをどう売るか、考えたらよろし。

ご参考にしてくだされ。