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途方もない翻訳を、福島の若い人たちと一緒に完成したい

あなたはどう仕事を決めるの?

小さい頃から憧れていた?よかったね。

なりゆき?家族のため?それもアリだよ。

私?

それが不思議で…振り返れば誰かに導かれていたと思うことばかり。

大方のひとが将来の仕事を決める学生の頃、私はまさか自分が通訳になるとは思っていなかった。当時の通訳は、まあ今でも大方のイメージだけど、才気煥発の女性がブースでヘッドフォンかぶって通訳独特の口調で…。で、通訳でなければ会えないようなすごい人に出会えたって喜んでいて…なんだそりゃ、あなたはすごくないの?みっともない。私には関係ないと思っていた。

でも、就職カタログにあるほかのどの仕事も私の心に響かなかった。すでにカタログに載っている仕事の中に私がやるべきことはない…と思った。

まだ湯気みたいな形ないものを、形にする役目なのかな?そんな気がしていた。

そのころ私が夢中だったのは、言葉の世界をひもとくこと。17世紀の英詩の、一見わけわからない言葉の羅列を丁寧にひらいていくことで、驚くような映画が心に生まれる。それが面白くて1日何時間Oxford English Dictionaryの前で過ごしたことか。言葉という不思議な世界といつも共にいたいと願っていた。一生辞書の前でも幸せだった。

それからいろいろな山谷があって…!!!

なんと今は通訳になって、通訳を教えている。
「こんなに四角くも丸くもない通訳ってできるんだ」
「なんだかこんなのは初めて聞いたけど、これが本来の通訳。」
そんなふうに言ってもらうたびに嬉しい。

そしてびっくりした。25年ぶりに相馬にゆかりの深い恩師、齋藤和明先生による「楽園失われて」。なんと、いまの私の通訳の軸、従来の通訳養成には見当たらない軸がすでにここにあったのです!

日本では「失楽園」として知られるミルトンのParadise Lost。でも先生は「楽園失われて」とイメージの順のまま。学生時代は、先生の訳はのんびりして先生らしいけれど、なんだかおかしいなあ、と思ったくらい。イメージの順を狂わせることがどれほど情報を、映像をゆがめるか、痛感したのはずっとあと。世の通訳、翻訳にふれておやおやまあまあと思ってからのこと。

改めて読むと「音声を文法(カメラ設定)に基づいてイメージに置き換える」「イメージの順を最大限守って訳す」そのもの。

Of man’s first disobedience, and the fruit

Of that forbidden tree, whose mortal taste

Brought death into the world, and all our woe,

With loss of Eden till one greater man

Restore us and regain the blissful seat,

Sing heavenly Muse that on the secret top Of Oreb, or of Sinai didst inspire

That shepherd, who first taught the chosen seed,

In the beginning how the heavens and earth

Rose out of chaos:

 

 

どうか、ひとの初めての服従拒絶の心について、あの果実について

戒められたあの木の過日味わう静べきものの、致死の、行為が

この世に資、そして我らの苦しみ悲しみのすべてをもたらし、

イーデンをも失わせ、だがうあがて一人の大いなるひと、われらを

かつてのわれらに再生させ、この上ない喜びの座を再獲得するが、

歌ってくれ、どうか、これらのことについて、天の詩神よ。あなたは

孤高の山ホウレブ、またはサーイナイの頂で、むかし

あの羊飼いに霊感を吹き込んだ方。その羊飼いとは

選ばれた種族に、始めに天と地、いかに混沌より現れ出でたかを

初めて教えたそのひとだが…

(ミルトン「楽園失われて」巻一、巻二 齋藤和明訳 国際基督教大学学報 人文科学研究より

和明先生のたまわく。

この詩の詩調は、英詩の英雄詩体である。脚韻は用いていない。…中略…実は、われわれの英語で書かれた最もよい悲劇作品も、以前から脚韻を使っていない。脚韻そのものは、それだけでは、明敏な耳すべてにとって、瑣細なものであり、真の音楽性がもたらす喜びを生まないものだからでさる。音楽性からの喜びは、ふさわしい音調、しかるべき長さの音節、そしてそこに込められている意味が、一行から次の一行へと、それも一様にではなく、引きつがれ伸び広がってうくことに存在するので、それ以外にはない。行の末尾が同じ音を反復させることに存在するものでは決してない。…中略…それゆえ脚韻をここで採用しなかったことは欠陥とみなされるべきではない。むろん低俗な読者には、そう見ててもしかたないが。これはむしろ、あのわずらわしい、現代詩が受けている束縛、つまり脚韻からの自由、英雄詩のために回復された自由の例として、かつて古代には確かにあった自由の例として、しかも英詩の場合では最初の一例として受け取られ評価されるべきものなのである。」

なんだ、私はサイマルやNHKの先を一人で走っているつもりだったけれど、ずっと前に出会っていたんだ。

困ったことに和明先生は12巻中、6巻以降の訳を残してご帰天。

途方もないことを想っています。和明先生の心のふるさとは相馬。和明先生の恩師斉藤勇先生のふるさとは福島。だから私は福島に学恩があります。福島の若い人たちとこの続きをやりたい。これは途方もないこと。歴史、宗教、語法…通翻訳技術…一気にとりくむことになる。

でもね、こういうことのほうが、明日役に立って明後日だめになるようなことに血道を上げるより、よっぽど力になるんですよ。あとに残せるんですよ。

福島の人たちは「までい」な仕事をする。その「までい」さを活かして、売ってもなくならないもの=通訳、翻訳を売る道もあるよ、と若い人たちに伝えたい。

というわけで、言葉の世界に魅了されながら、現行のカタログに満足がいかない福島の若い人に会いたいです!Oxford English Dictionaryのある図書館で逢いましょう!どこかな?

ぜんぶで30巻あまり…

近代日本初の女性翻訳家は福島のひとでした

「翻訳やってみたいんです。」
あ、そう。またなんで?
「だってなんかかっこいいから…!」
あのねえ???そういう人は沢山いるよ。最近Google翻訳もすごいから、ただ翻訳というのはどうかなあ。

ところで日本の女性翻訳家第1号って誰だか知ってる?村岡花子さん?いえいえ、もっとずっと前のこと。

6歳で会津を離れて以来、戻ることはありませんでした

私は若松賤子(わかまつしずこ)だと思っています。もちろんペンネーム。若松は故郷の会津若松。賤子は「神の賤女(はしため)」の意。1864年、会津藩士の娘に生まれるけれど戊辰戦争で一家は離散。利発な賤子を不憫に思ったのは横浜の貿易商の番頭大川甚兵衛さん。この番頭さんに養女として引き取られ、6歳でひとり横浜にやって来たのです。

列強の外交官、それこそ隠密がうようよしていた横浜。会津の隠密の娘に居場所があったと思う?

あったのです。

それはアメリカ人女性宣教師キダー女史が始めた学校。これもどうかしてる。まだキリシタンが禁じられていた日本にアメリカから女性が船に乗って来て学校を造るなんて。(その学校に行かせようと思う番頭さんもすごい。これはきっとビジネスマンのセンス。)

女性宣教師が志高かったのは間違いないけれど、もうひとつ事情があるそう。教会に女性聖職者が認められたのは比較的最近でしょう?当時はアメリカでも女性はなかなか活躍の機会を得られなかったのです。

「小公子セディ」初の邦訳

この学校に賤子は7歳から通います。英語のみでなく博覧強記の教養を身につけ、たった一人の1期生として卒業。教員につきながら翻訳、執筆に活躍。なかでも名訳の評判高かったのがバーネットの「小公子」。

確かに学校が楽しくて夢中に学んだのでしょう。でもそれだけではなくて…賤子には独特の気配があるのです。背水の陣同志、失うものなどもう何もない同志の緊張感、覚悟を感じるのです。

だから、ずば抜けた。

日本語そのものが混乱していた時代、電子辞書なんかない時代に自分で言葉を見つけた、磨いた。

あなたもファッション雑誌で服を眺めるみたいに人が用意した選択肢をあれもいいな、これもいいな、と言っているうちは、まだ群れの中。点数競争、価格競争にまきこまれる。それはつまらないし、私なんかもたないと思うけどね。

自分の道を見出すのは、すべてを奪われる、失うような経験がきっかけのことも。それを世間は挫折、失敗と呼ぶ。でも恩寵の入り口は失敗の顔をしてやってくるようですよ。恩寵の入り口は自分にしか見えない。のんびり屋の私がそんな思いをしたのは31歳のとき。

あちゃー、31歳。長く肺を患っていた賤子が世を去った年。これでは朝ドラには短すぎますねえ。FTVあたりで2時間ドラマにならないかなあ。

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