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日本のビジネスと米国の反知性主義と

ここのところミッションだ、ビジョンだ、と書いています。でも、ビジネスマンもキリスト教で言葉の由来をちゃんと勉強しましょうね、なーんてちーっとも思っちゃちゃおりません!!

知りたかったことはたったひとつ。

日本語でビジネスの話をしていると、キリスト教っぽいカタカナがどんどん出てくる。そりゃ仕事と生きることを真剣に考えるのは大事。でもすごいスピードで無邪気に心の領域に踏み込んでくる人がやたら多い。なんなんだ、それ。だいたい「あなたはお金に関するメンタルブロックを解除しなくちゃね」のような言い方をする。自分が相手を誤解しているのでは、という疑いの余地はどうもあまりないらしい。もちろんカチンと来る。それこそMind your own business.

でも個人どうしの性格、相性の問題ではない匂いがしていました。だって皆さん、ものの言い方があまりに似ている。

だからもっと大きな社会的、歴史的背景がある気がしてならなかったのです。その手掛かりが得られれば個人どうしの問題にしなくてすむ。

あれ?そういえばヨーロッパの人たちはそんなこと言わないなあ…むむむ、やっぱり。

この本を読んでわけがわかりました。お久しぶり、森本先生、これ面白かった!帯は大げさで外れだと思いますけどね。

ICU副学長の森本Henry先生の近著。

反知性主義といっても決しておバカでよいなどという意味ではありません。

確かにこの頃日本では反知性主義という言葉を「まともに考えない。知的でない」というニュアンスで使うことがあります。でもアメリカではちょっと違います。anti intellectualismはインテリと権力の癒着への抵抗をあらわします。まったくもってごもっとも。

ここでインテリというのは科学者や哲学者ではなく教会制度に属する牧師のこと。ヨーロッパで教会は政治権力と結びついて、国費、税金で支えられていました。いいご身分だけれど仲間入りするにはインテリでないと。それでいて下々には「この世は辛いもの。あの世で幸せになるには信心を」と教えていたのですからたいしたもんだ。坊主丸儲け。

それを疑問視する人たちがアメリカではインテリ「牧師」ではなく「伝道者=エヴァンジェリスト」(巡回セールスマンの原型)として活躍。アメリカの教会はあの世だけじゃなくこの世の幸せにも肯定的。本当は不安だらけの成功者たちの心の支えにもなりました。

大いに結構。ただ…それが高じてアメリカはポジティブ病に(大雑把ですみません)。

実は追いつめられて拒食症になっていた高校生の頃、ノーマン・ピールというアメリカの伝道者の本を読みました。ちょっと励まされた。でもあまりにポジティブ、自分中心で、私は相当参っていたのに、なんじゃこりゃ、冷戦と軍拡の80年代にはもう合わないぞと感じていました。なるほど、第二次大戦が終わってまもなくの著作。ところが21世紀の今でもアメリカには彼の影響を受けた輪をかけてポジティブな自己啓発が山ほど。

下山の思想とか「?」なんでそうね。ご苦労様、自己啓発はきりがないよ。特に最新の脳科学なんて言い出すと。ああ、きりながいからいいのか。私は乗る気がしないなあ、悪しからず。

まあとにかく、アメリカでは教会が政治権力を離れ、ビジネスに近づいた。ビジネスは教会の言葉を借りて心の領域に近づいた。それ自体別に良くも悪くもない、ヨーロッパにはない試みです。その残響を日本のビジネス用語の中に聴いていたようです。

ちょっとすっきり。ちょっとだけどね。

 

途方もない翻訳を、福島の若い人たちと一緒に完成したい

あなたはどう仕事を決めるの?

小さい頃から憧れていた?よかったね。

なりゆき?家族のため?それもアリだよ。

私?

それが不思議で…振り返れば誰かに導かれていたと思うことばかり。

大方のひとが将来の仕事を決める学生の頃、私はまさか自分が通訳になるとは思っていなかった。当時の通訳は、まあ今でも大方のイメージだけど、才気煥発の女性がブースでヘッドフォンかぶって通訳独特の口調で…。で、通訳でなければ会えないようなすごい人に出会えたって喜んでいて…なんだそりゃ、あなたはすごくないの?みっともない。私には関係ないと思っていた。

でも、就職カタログにあるほかのどの仕事も私の心に響かなかった。すでにカタログに載っている仕事の中に私がやるべきことはない…と思った。

まだ湯気みたいな形ないものを、形にする役目なのかな?そんな気がしていた。

そのころ私が夢中だったのは、言葉の世界をひもとくこと。17世紀の英詩の、一見わけわからない言葉の羅列を丁寧にひらいていくことで、驚くような映画が心に生まれる。それが面白くて1日何時間Oxford English Dictionaryの前で過ごしたことか。言葉という不思議な世界といつも共にいたいと願っていた。一生辞書の前でも幸せだった。

それからいろいろな山谷があって…!!!

なんと今は通訳になって、通訳を教えている。
「こんなに四角くも丸くもない通訳ってできるんだ」
「なんだかこんなのは初めて聞いたけど、これが本来の通訳。」
そんなふうに言ってもらうたびに嬉しい。

そしてびっくりした。25年ぶりに相馬にゆかりの深い恩師、齋藤和明先生による「楽園失われて」。なんと、いまの私の通訳の軸、従来の通訳養成には見当たらない軸がすでにここにあったのです!

日本では「失楽園」として知られるミルトンのParadise Lost。でも先生は「楽園失われて」とイメージの順のまま。学生時代は、先生の訳はのんびりして先生らしいけれど、なんだかおかしいなあ、と思ったくらい。イメージの順を狂わせることがどれほど情報を、映像をゆがめるか、痛感したのはずっとあと。世の通訳、翻訳にふれておやおやまあまあと思ってからのこと。

改めて読むと「音声を文法(カメラ設定)に基づいてイメージに置き換える」「イメージの順を最大限守って訳す」そのもの。

Of man’s first disobedience, and the fruit

Of that forbidden tree, whose mortal taste

Brought death into the world, and all our woe,

With loss of Eden till one greater man

Restore us and regain the blissful seat,

Sing heavenly Muse that on the secret top Of Oreb, or of Sinai didst inspire

That shepherd, who first taught the chosen seed,

In the beginning how the heavens and earth

Rose out of chaos:

 

 

どうか、ひとの初めての服従拒絶の心について、あの果実について

戒められたあの木の過日味わう静べきものの、致死の、行為が

この世に資、そして我らの苦しみ悲しみのすべてをもたらし、

イーデンをも失わせ、だがうあがて一人の大いなるひと、われらを

かつてのわれらに再生させ、この上ない喜びの座を再獲得するが、

歌ってくれ、どうか、これらのことについて、天の詩神よ。あなたは

孤高の山ホウレブ、またはサーイナイの頂で、むかし

あの羊飼いに霊感を吹き込んだ方。その羊飼いとは

選ばれた種族に、始めに天と地、いかに混沌より現れ出でたかを

初めて教えたそのひとだが…

(ミルトン「楽園失われて」巻一、巻二 齋藤和明訳 国際基督教大学学報 人文科学研究より

和明先生のたまわく。

この詩の詩調は、英詩の英雄詩体である。脚韻は用いていない。…中略…実は、われわれの英語で書かれた最もよい悲劇作品も、以前から脚韻を使っていない。脚韻そのものは、それだけでは、明敏な耳すべてにとって、瑣細なものであり、真の音楽性がもたらす喜びを生まないものだからでさる。音楽性からの喜びは、ふさわしい音調、しかるべき長さの音節、そしてそこに込められている意味が、一行から次の一行へと、それも一様にではなく、引きつがれ伸び広がってうくことに存在するので、それ以外にはない。行の末尾が同じ音を反復させることに存在するものでは決してない。…中略…それゆえ脚韻をここで採用しなかったことは欠陥とみなされるべきではない。むろん低俗な読者には、そう見ててもしかたないが。これはむしろ、あのわずらわしい、現代詩が受けている束縛、つまり脚韻からの自由、英雄詩のために回復された自由の例として、かつて古代には確かにあった自由の例として、しかも英詩の場合では最初の一例として受け取られ評価されるべきものなのである。」

なんだ、私はサイマルやNHKの先を一人で走っているつもりだったけれど、ずっと前に出会っていたんだ。

困ったことに和明先生は12巻中、6巻以降の訳を残してご帰天。

途方もないことを想っています。和明先生の心のふるさとは相馬。和明先生の恩師斉藤勇先生のふるさとは福島。だから私は福島に学恩があります。福島の若い人たちとこの続きをやりたい。これは途方もないこと。歴史、宗教、語法…通翻訳技術…一気にとりくむことになる。

でもね、こういうことのほうが、明日役に立って明後日だめになるようなことに血道を上げるより、よっぽど力になるんですよ。あとに残せるんですよ。

福島の人たちは「までい」な仕事をする。その「までい」さを活かして、売ってもなくならないもの=通訳、翻訳を売る道もあるよ、と若い人たちに伝えたい。

というわけで、言葉の世界に魅了されながら、現行のカタログに満足がいかない福島の若い人に会いたいです!Oxford English Dictionaryのある図書館で逢いましょう!どこかな?

ぜんぶで30巻あまり…

進路に迷う高校生に大事にしてほしいこと

29年前の2月9日の夕方、私は自分史上最高にゴキゲンでした!こんなに面白く学んだ日はない。それを誰かにしゃべりたくてしょうがない!もうコーフン。2時間半の帰り道、外は真っ暗でも心の中は満艦飾!

私が家族にまくしたてたのは…ICUの入試です。…変?

いや、だって面白かったんだもの。自然科学、人文科学、社会科学、どれも壮大で深くて。テストだってことなんか忘れてた。ICUの先生の書き下ろし課題文はそのまま手紙、贈り物だった。(一般能力と英語はまあ普通でしたけど。)今でも3科の課題文についてはあの頃のようにまくし立てられます。ご迷惑でしょうから簡単にまとめます。

  • 自然科学:ほうれん草が発芽する条件を読んで東南アジアでのケースを元に別の地域での生長をシミュレーション。気温、土壌などの条件を月、太陽の運行まで含めて計算するという物理、化学、地学、生物の垣根を超えたテーマ。
  • 社会科学:日本人が政治に「グレー」なイメージを抱く理由を古代ギリシャのポリスの成立と比較して考察。
  • 人文科学:古代ギリシャとキリスト教の「死すべきもの」観。

いや、べつに外郎売りみたいに毎日暗誦しているわけじゃありません。たぶん試金石としていつも使っているから、忘れないのだと思います。

 

いまの高校生、学部、学科をどう選んでいるのかな?なりたい職業が決まっていて迷いなく選べる人はいいけれど、みんなが職業志向じゃないでしょ。何も選ばないわけにはいかないんだから、迷っている人はどうしているんだろう

30年余り前の私がそうでした。というより、私の求めるものは心にはっきり描いてありました。人はどこからきてどこへ行くんだろう。誰もがやがて死んでしまうのになぜよりよく生きようなどとするのだろう。なぜ戦争はなくならないのだろう。国家とはなんだろう。時間とはなんだろう。こんなことばかり考えていた。気になって、気になって、どこが就職に有利か、なんて頭が回らなかった。哲学科、政治学科、史学科…どれもピンとこなかった。

だからICU(国際基督教大学)を見つけたときは飛び上がるほど嬉しかった!なんて広い視界。ここなら自由に問える。わかったふりしないですむ。必ずここに行くという直感がありました。誰に反対されてもゆるがなかった。

迷っている、どれもピンと来ないと思っているなら、迷っているとうことを大事にしてください。違和感はあなた自身の答えに至る道の入り口です。不平、不満とは違う。無視してはいけません。大事にしないとあとでちゃんと戻ってきます、痛みとともに。

人間にはどうも群れの中で楽しく生きる部族と、人より余分になぜ?を繰り返して群れの外に生きる部族がいるみたい。優劣の問題ではなく、別部族。両方必要。ただ、なぜなぜ族が前者に合わせると破たんします。なぜなぜ族は孤独を味わうかもしれないけれど、新しいルールを作るのに長けている。

これが滑走路。両親説得ツアー敢行。

なぜなぜ族の若いもんがそのめんどくさいところを大切にするよう、同部族のおばちゃんは願ってます。

え、就職が心配?あのねえ。それはまた別稿で。それまでこれ読んどいて。

狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。(マタイ 7-13)

Enter through the narrow gate. For wide is the gate and broad is the road that leads to destruction, and many enter through it.” (NIV)

Enter ye in at the strait gate, for wide is the gate and broad is the way that leadeth to destruction, and many there be who go in thereat. (21世紀欽定訳)